幼名は富之助。俗名は弥四郎、後に健蔵と改めたが宣長と改名後は使用していない。実名は栄貞、26歳から宣長と改めた。号は芝蘭、春庵、66歳から中衛。53歳の時に増築した書斎を「鈴屋」と命名したのでこれを屋号にも使用。
和歌を詠むこと。旅行。花見。桜育成。読書は子供の頃から好む。仲間と集まること。乗馬。絵(代表作は44歳、61歳自画像)。鈴。
若い頃は酒を好み母に叱られたが、その後甘い物が好きになった。煙草好きは今も変わらず。自分で言うのも何だが、おしゃれ。
父 小津定利 江戸で木綿業を営むが11歳の時死去。享年42歳 母 かつ 新町村田孫兵衛の娘 39歳の時死去。享年64歳 兄(養子) 宗五郎 江戸で独立したが22歳の時に死去。享年40歳 妹二人 (上は出家、下は大口村に嫁ぐ) 弟一人 (母の実家の養子となる)
妻 たみ 津の医師草深玄厚の娘 長男 春庭 (優秀だったが失明のため養子を迎える)。 次男 春村 (津の薬種問屋小西の養子となる)。 長女 飛騨 (四日市高尾家に嫁ぐ)。 次女 美濃 (松坂湊町長井家に嫁ぐ)。 三女 能登 (山田の神職安田家に嫁ぐ)。 養子 大平 松坂中町稲懸棟隆の子。幼少より学問を好んだので養子に迎え、家督を譲る。
著書 78種 206冊 3表 (代表作『古事記伝』44冊、 『源氏物語玉の小櫛』 9冊、『詞の玉緒』7冊、『玉勝間』15冊)。 歌 約一万首。 書簡 1021通 (受取人保管分のみ)。 門人 489名(外に没後門人2名)
浄土宗知恩院派樹敬寺檀家(五重相伝伝授)。御厨神社氏子。又、個人的には吉野山の水分神社を信仰。墓は樹敬寺と同寺隠居寺妙楽寺境内地の山頂に自ら指示して造る。
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