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JD2354098.5 享保18年1月 (1733/3/15) □享保18年(1733)癸丑 宣長4歳。小津三四右衛門定利(道樹)39歳、勝29歳、宗五郎22歳、はん2歳。 [Y000022-000-000] |
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JD2354201.5 享保18年5月15日 (1733/6/26) □5月15日祖 母、閑没。享年60。法名栄保大姉。 [Y000023-000-000] 閑は、宣長祖父定治唱阿大徳の後妻。荒木太左衛門単誉信入の娘で、宣長の外祖母村田元寿の姉に当たる。この二人の姉妹が信入の娘でありながら、その養子誠誉善心の娘として扶育されたことは『本居氏系図』「歴代諸妣伝」(宣長全集:20-121)に詳しい。
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JD2354265.5 享保18年7月20日 (1733/8/29) □7月20日 村田元次没。法名温新院入誉随徳居士。 [Y000024-000-000] 命日は「村田家資料」中の墓誌写しに依る。元次は、宣長母方曾祖父村田孫兵衛重次の兄の子。兄一念が子供を残し早世したので、弟重次はその妻を娶り、子を実子とし後を継がせた。元治は通称孫兵衛を名乗る。後に孫助と改め、松坂新座町に隠居し、後を異父同母弟豊商、宣長の外祖父に譲ったと『本居氏系図』「歴代諸妣伝」(宣長全集:20-121)に記す。元次は子全次と共に垂加神道家であり、宣長にも影響を与えたとする説がある。一方、森瑞枝「修学期宣長の伊勢・垂加神道影響説について」(『日本文化研究所報』147号)は、それらの説を簡略に紹介し、反論する。
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