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JD2355544.5 元文2年1月 (1737/2/28)
元文2年(1737)丁巳 宣長8歳。小津三四右衛門定利(道樹)43歳、勝33歳、宗五郎26歳、はん6歳、親次3歳。
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【この年の概要】 [001-000]

修学を開始。この頃、義兄独立か。 [001-001]

JD2355751.5 元文2年8月 (1737/9/23)
8月 西村三郎兵衛のところで手習を始める。習物は「いろは」「仮名文」「教訓之書」「商売往来」「状」及び『千字文』の「天地」等。
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『日記』「自元文二年【丁巳○時年八歳】八月。手学於西村三郎兵衛殿所也」(宣長全集:16-6)。また、『日記(万覚)』「○西村ニテ習物、いろは、仮名文【一】教訓之書、商売往来、状、○同所ニテ習シ千字文、天地【八歳ノ秋】、玄黄【九歳ノ春】、冬蔵【九歳ノ秋】、李◎(奈の本字)【十歳春】、草木【十歳秋】、外受【十一歳春】、謂語【十一歳秋】」(宣長全集:16-8)。「天地」は『千字文』第1句「天地玄黄」。「万覚」にあるように以後継続して習っていく。だが、この「千字文」の学習方法についてはよく分からない。進み方が非常に遅く、時に順番を飛ばしたりすることもあった。 [001-000]

『玉勝間』巻6「手かく事」で「のり長いとつたなくて、つねに筆とるたびに、いとくちをしう、いふかひなくおぼゆるを、人のこふまゝにおもなくたんざく一ひらなど、かき出て見るにも、我ながらだに、いとかたはに見ぐるしう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はづかしくむねいたくて、わかかゝしほどに、などててならひはせざりけむと、いみしうくやしくなん」(宣長全集:1-176)と述懐する。 [002-000]

JD2355899.5 元文2年 (1738/2/18)
元文2、3年(1737、38)頃 宗五郎江戸に下り独立する。最後まで父は反対したようだが、ついには折れて独立を許した。
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『家のむかし物語』「かくて道樹君、実子宣長を生み給へるによりて、道喜君、本家の嗣たることを辞して、江戸の下りて、自力を以て、別に一家を創めんことを、しば/\請給へども、唱阿君の孫にて、定めおかれし事を、かたく守りて、道樹君さらにゆるし給はざるを、猶しひて請ひて、つひに元文二三年のころ、江戸に下り、商をはじめて、本家の力をからず、みづからはげみつとめて、いく程もなく富をいたし給へりき」(宣長全集:20-26)。また『本居氏系図』に「居士生長之後、道樹大徳生実子、居士辞為本家之嗣、欲自別開一家、雖然大徳重先考之命不許之、居士遂固請元文中下江戸、不留本家店、別始商売頗致富」(宣長全集:20-84)と記す。 [001-000]


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