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JD2358114.5 寛保4年1月 (1744/3/13)
寛保4年・延享1年(1744)甲子 宣長15歳 (2月21日改元)。勝40歳、はん13歳、親次10歳、俊5歳。(宗五郎33歳)
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【この年の概要】 [001-000]

謡を習う。『神器伝授図』等書写。この頃から、系図への関心芽生えるか。『赤穂義士伝』執筆。元服。 [001-001]

JD2358114.5 寛保4年1月 (1744/3/13)
1月より 岸江之仲のところで謡を習う。曲目は「杜若」「誓願寺」「葛城」「西行桜」「羽衣」(再習)「朝長」「二人静」「白髭」「老松」「加茂」「呉服」「小鍛冶」「通盛」「清経」「敦盛」「実盛」「融」等。
[Y000079-000-000]

寛保1年(1741)7月条参照。 [001-000]

JD2358158.5 延享1年2月24日 (1744/4/26)
2月24日より 融通念仏百反を修す。
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『日記(万覚)』「○寛保四【甲子】年二月廿四日ヨリ、融通念仏百反之日課ヲ修ス」(宣長全集:16-8) [001-000]

JD2358155.5 延享1年3月11日 (1744/4/23)
3月11日より 十万人講の日課百反を修す。
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『日記(万覚)』「○延享元【甲子】年三月十一日ヨリ、十万人講ノ日課百反ヲ修ス」(宣長全集:16-8) [001-000]

JD2358297.5 延享1年8月6日 (1744/9/12)
8月6日 「宗族図・母党図・妻党図・婚姻図」を書写する。
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奥書「延享元【甲子】年、八月六日夜、書之、小津真良」(宣長全集:別2-582)。1枚。 [001-000]

「真良」名の初見。確認できる最後の使用例は、延享3年(1746)10月27日書写の『洛外指図』署名「延享三年丙寅十月廿七日 本居真良栄貞」。本居清造は、「音読ナルベシ」と述べている(『本居宣長稿本全集』1-31)。 [002-000]

宣長はこの時期「良」を「郎」と通わせて使用したか。例えば『中華歴代帝王国統相承図』の署名に「小津弥四良栄貞」、『職原抄支流』に「小津弥四良真良栄貞」とある。 [003-000]

これらの写し物は、系図に対する宣長の関心の表れの一つであろう。以後、系図に関する書写が目立ち、また、延享4年(1747)前後執筆『端原氏物語系図』のような架空の系図も描かれる。 [004-000]

JD2358320.5 延享1年8月 (1744/10/5)
8月 小津八郎治没、享年75歳、法号心誉道林大徳。
[Y000083-000-000]

『本居氏系図』「職人町小津喜兵衛家系」(宣長全集:20-101)。「富之助」と命名した人である。享保15年(1730)5月7日条参照。 [001-000]

JD2358321.5 延享1年9月1日 (1744/10/6)
9月1日 『神器伝授図』を書写する。
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奥書「延享元甲子歳九月朔日書終、小津真良」(宣長全集:別2-583)。 [001-000]

三皇五帝から清に至る中国の王朝、皇帝の推移を細密に図示したもの。写しであるが原本については不明。全長1027糎。 [002-000]

JD2358323.5 延享1年9月3日 (1744/10/8)
9月3日 『中華歴代帝王国統相承之図』を書写する。
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奥書「延享元甲子歳九月三日、小津弥四良栄貞」(宣長全集:別2-584)。 [001-000]

9月1日書写の『神器伝授図』巻頭部分を清書したもの。  [002-000]

JD2358324.5 延享1年9月4日 (1744/10/9)
9月4日 『職原抄支流』上下2巻、抜書始める。
[Y000086-000-000]

巻首「子ノ九月四日書始」。10月14日抜書了。抜書とあるがほぼ全巻書写か。 [001-000]

JD2358349.5 延享1年9月 (1744/11/3)
9月 『赤穂義士伝』筆記する。
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樹敬寺における実道和尚の説経の聞書。巻首「予、延享元年九月の比より、樹敬寺ニて実道和尚説法ノ次ニ、播州あこノ城主浅野内匠頭長□(ノリ)の家臣、大いしくらの介藤原のよしを巳下ノ家臣、主ノ敵を討シ物語をせられしを、我カ愚耳ニきゝしとをリヲ書キシルシをく也、しかれども、聞わすれし所も有りければ、次第ふつゝにして定らず、又ハをちたる所も有べし、わすれし所も有り、然レ共先ツ記ス、凡ソ此事をしるしたるもの、廿余とをり有りとかや、此レハ大石ノしゆかんと云書を以て説といわれたり」(宣長全集:20-585)。 [001-000]

宣長と赤穂義士。京都遊学中の宝暦6年(1756)5月23日、堀蘭澤と清閑寺に参詣。同所で泉岳寺開帳があったので、四十七士の遺物や泉岳寺墓の模造を拝観料5文を出し見物している。『経籍』に「赤穂忠臣ノ事ヲ記ス書ドモ也」として関連書が載る(宣長全集:20-624)。また宣長も読んだ師の堀景山『不尽言』にも義士論が展開される。 [002-000]

JD2358363.5 延享1年10月14日 (1744/11/17)
10月14日 『職原抄支流』上下2巻抜書終わる。
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奥書「延享元【甲子】年十月十四日、小津弥四郎真良栄貞」(宣長全集:別2-585)。 [001-000]

『職原抄支流』は、天和3年(1683)刊の法制史の入門書である。宣長の写し物の中には『新造営当時内裏御公家屋鋪惣御門細見絵図』1幅がある。筆写年代は不明だが、十代の物と推定され、当時の宣長の関心の一斑を窺うことが出来る。 [002-000]

JD2358430.5 延享1年12月21日 (1745/1/23)
12月21日 元服する。
[Y000089-000-000]

『日記』「延亨(ママ)元【甲子】終月(シハス)二十一【甲子】日、元服」(宣長全集:16-6)。 [001-000]

『本居氏系図』「本家譜」「延享元年甲子十二月廿一日元服」(宣長全集:20-85)。 [002-000]

『家のむかし物語』「十五歳にて、元服といふことす」(宣長全集:20-27)。 [003-000]


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