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JD2359206.5 延享4年1月 (1747/3/10)
延享4年(1747)丁卯 宣長18歳。勝43歳、はん16歳、親次13歳、俊8歳。(宗五郎36歳)
[Y000117-000-000]

【この年の概要】 [001-000]

『和歌の浦』起筆。京都への憧憬と共に、和歌への関心の芽生え。 [001-001]

JD2359486.5 延享4年11月14日 (1747/12/15)
11月14日 『和歌の浦』第1冊を起筆する。
[Y000118-000-000]

内題「倭謌之浦」、巻首「倭謌之浦 延享四年霜月中の四日筆を染 本居栄貞」(宣長全集:14-511)。本冊は和歌に関する抜書で5冊まで書き継がれた。第5冊巻末近くに「宝暦十一年辛巳円光東漸大師勅加号謚慧成大姉因五百五十回忌也」とあり、その頃まで書き継がれたか。何れにしてもノートなので正確な起筆、脱稿年次は定めにくい。順を追って書くと言うより並行して書かれた形跡もある。宝暦4年(1754)3月28日条参照。 [001-000]

JD2359499.5 延享4年11月27日 (1747/12/28)
11月27日 『都考抜書』第3冊脱稿する。
[Y000119-000-000]

外題「京志 巻之三」、表紙「延享四丁卯十一月廿七日終」、表紙裏「遠遊紀行、東海紀行、続徒然艸、鎌倉九代記、徒然草、平家物語、大和本草、青葉笛ノ物語」(宣長全集:別1-111)。 [001-000]

JD2359499.5 延享4年11月27日 (1747/12/28)
延享4年前後 『端原氏物語系図』成るか。
[Y000120-000-000]

架空の系図である。翌延享5年(1748)3月27日に書き始めた『端原氏城下絵図』と対となる。日野龍夫は「宣長には「端原氏物語」を小説として書く意図は、はじめからなかったのではあるまいか」(「本居宣長と地図」『新潮』・1983-11)と言う。氏も指摘するように少年期の地図や系図に対する関心、とりわけ細部へ細部へと向かうと指向性を見ると傾聴に値する意見であろう。『松阪市史』巻7に翻刻と城下絵図影印が付く。 [001-000]


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