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JD2359945.5 寛延2年1月 (1749/3/18)
寛延2年(1749)己巳 宣長20歳。勝45歳、はん18歳、親次15歳、しゅん10歳。(宗五郎38歳)
[Y000194-000-000]

【この年の概要】 [001-000]

今井田家時代。初めて師に就き和歌の添削を受ける。紙商を始める。素読を習う。『源氏物語覚書』稿成か。宣長の住む伊勢は遷宮の年で、諸行事が続いた。 [001-001]

JD2359916.5 寛延2年1月1日 (1749/2/17)
1月1日より7日まで 両宮参拝。
[Y000195-000-000]

『(今井田)日記』「正月元日ヨリ七日迄 両宮ヘ参ル」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2359917.5 寛延2年1月2日 (1749/2/18)
1月2日 両宮参拝。
[Y000196-000-000]

JD2359918.5 寛延2年1月3日 (1749/2/19)
1月3日 両宮参拝。
[Y000197-000-000]

JD2359919.5 寛延2年1月4日 (1749/2/20)
1月4日 両宮参拝。
[Y000198-000-000]

JD2359920.5 寛延2年1月5日 (1749/2/21)
1月5日 両宮参拝。
[Y000199-000-000]

JD2359921.5 寛延2年1月6日 (1749/2/22)
1月6日 両宮参拝。
[Y000200-000-000]

JD2359922.5 寛延2年1月7日 (1749/2/23)
1月7日 両宮参拝。
[Y000201-000-000]

JD2359916.5 寛延2年1月1日 (1749/2/17)
1月初旬 初春の歌を詠む。
[Y000202-000-000]

『石上稿』詞書「初春の心を読侍りける」として3首載せる。(宣長全集:15-184)。 [001-000]

JD2359944.5 寛延2年1月29日 (1749/3/17)
1月29日 松坂に行く、
[Y000203-000-000]

『(今井田)日記』「廿九日 松坂ニゆく」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2359956.5 寛延2年2月11日 (1749/3/29)
2月11日 松坂より帰る。
[Y000204-000-000]

『(今井田)日記』「二月十一日 松坂よりカヘル」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2359960.5 寛延2年2月15日 (1749/4/2)
2月15日 外宮参拝。この日、両宮で御柱立が行われる。
[Y000205-000-000]

『(今井田)日記』「十五日、外宮ヘ参宮ス、今日両宮御柱立アリ」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2359965.5 寛延2年2月20日 (1749/4/7)
2月20日 両宮参拝、御棟上を拝見する。
[Y000206-000-000]

『(今井田)日記』「廿日、アサ両宮ヘ参宮ス、今日内外宮御棟上アリ、拝見ス」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2359994.5 寛延2年3月20日 (1749/5/6)
3月下旬より 宗安寺の法幢和尚に和歌の添削を受ける。
[Y000207-000-000]

『日記』「同二年【己巳】従三月下旬、詠和歌受宗安寺〔中ノ地蔵立〕法幢和尚之添削【自去年志和謌、今年ヨリ専寄此道於心】(宣長全集:16-6)。 [001-000]

『(今井田)日記』4月1日より5月1日までの間に「三月下旬ヨリ、宗安寺ヨリ歌ノ直シヲ受ル、「杉ナラハ、「ハル/\ト、「カクヲシム、「ナニハヱノ、「池水ノ、始テ五首ヲツカハス」とある。 [002-000]

宗安寺は浄土宗で、現在廃寺。 [003-000]

法幢は天明1年(1781)11月2日入寂。法名は中興11世紅蓮社謙誉法幢上人随阿泰善和尚(『三村竹清集』7-26)。津の岡眉山と親交があった(『本居宣長稿本全集』・1-41)。眉山は宝暦10年(1760)7月6日条参照。また、やはり津の柴田常昭の『常昭家集』に名前が見える。岡、柴田と交友のあった法幢と宣長の師事した人物が同一人であるかどうか確証はない。 [004-000]

JD2360004.5 寛延2年4月1日 (1749/5/16)
4月1日 両宮参拝。
[Y000208-000-000]

『(今井田)日記』「四月朔日 両宮へ参宮ス」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2360008.5 寛延2年4月5日 (1749/5/20)
4月5日 松坂に行く。
[Y000209-000-000]

『(今井田)日記』「五日、松坂へユク」(宣長全集:16-18) [001-000]

JD2360010.5 寛延2年4月7日 (1749/5/22)
4月7日 松坂より帰る。途中、松坂愛宕山龍泉寺で白子山観音寺の開帳を見るか。
[Y000210-000-000]

『(今井田)日記』「七日、カヘル、白子山アタコニテ開帳」(宣長全集:16-18)。竜泉寺の境内では開帳や見世物がしばしば開かれ宣長の『日記』にも散見する。当時の様子は『伊勢参宮名所図会』に載る。 [001-000]

JD2360034.5 寛延2年5月1日 (1749/6/15)
5月1日 両宮参拝。
[Y000211-000-000]

『(今井田)日記』「○五月朔日、両宮ヘ参宮ス」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2360045.5 寛延2年5月12日 (1749/6/26)
5月12日 栄保大姉(祖父定治の後妻閑)十七回忌のため松坂に行く。
[Y000212-000-000]

『(今井田)日記』「○十二日、松坂ニユク、栄保大姉十七回忌ニ仍テ也」(宣長全集:16-18)。栄保大姉は、宣長祖父定治唱阿大徳の後妻。享保18年(1733)5月15日条参照。 [001-000]

JD2360052.5 寛延2年5月19日 (1749/7/3)
5月19日 松坂より帰る。
[Y000213-000-000]

『(今井田)日記』「○十九日、松坂ヨリ帰ル」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

JD2360077.5 寛延2年6月15日 (1749/7/28)
6月15日 別宅に移り、新しく紙店を出し商売を始む。
[Y000214-000-000]

『(今井田)日記』「六月十五辛卯日 始テ新紙見セヲ出ス」(宣長全集:16-18)。 [001-000]

『日記』「○同二年己巳六月十五日辛卯日、始移別宅紙商売始」(宣長全集:16-6)。 [002-000]

JD2360078.5 寛延2年6月16日 (1749/7/29)
6月16日 夕方外宮参拝。
[Y000215-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-19)。 [001-000]

JD2360079.5 寛延2年6月17日 (1749/7/30)
6月17日 夕方内宮参拝。
[Y000216-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-19)。 [001-000]

JD2360093.5 寛延2年7月1日 (1749/8/13)
7月1日 両宮参拝。
[Y000217-000-000]

『(今井田)日記』「○七月朔、両宮参」(宣長全集:16-19)。 [001-000]

JD2360115.5 寛延2年7月23日 (1749/9/4)
7月23日 松坂へ行く。
[Y000218-000-000]

『(今井田)日記』「○同廿三日、松坂ヘユク」(宣長全集:16-19) [001-000]

JD2360121.5 寛延2年7月29日 (1749/9/10)
7月29日 松坂より帰る。
[Y000219-000-000]

『(今井田)日記』「○同廿九日、松坂ヨリカヘル」(宣長全集:16-19) [001-000]

JD2360123.5 寛延2年8月1日 (1749/9/12)
8月1日 伊勢で白石持ちが始まる。
[Y000220-000-000]

8月4日条参照。 [001-000]

JD2360126.5 寛延2年8月4日 (1749/9/15)
8月4日 町内の白石持ちに参加、外宮参拝、新御殿拝見する。
[Y000221-000-000]

『(今井田)日記』「△八月四日、外宮参、同五日、内宮参、両宮新御殿拝見ス」(宣長全集:16-19)。同「○朔日ヨリ、白石持ハジマル、当町ハ三日四日ナリ、町々ヨリ作リ物ヲコシラヘテ出ス、後ハ止ラル」(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360127.5 寛延2年8月5日 (1749/9/16)
8月5日 内宮参拝、新御殿拝見。
[Y000222-000-000]

8月4日条参照。他町の白石持ちに参加したか。 [001-000]

JD2360133.5 寛延2年8月11日 (1749/9/22)
8月11日 両宮の清鉋が行われる。内宮は卯の時、外宮は辰の時。また、御神宝が運び込まれる。
[Y000223-000-000]

『(今井田)日記』「十一日、両宮キヨカンナ【内宮卯ノ時、外宮辰ノ時】同日 御神宝来ル、【内宮三十七ツリ、外宮二十七ツリ】行事官ツキテ来ラル」(宣長全集:16-22)。 [001-000]

清鉋については、「御戸祭」宇津野金彦(『伊勢神宮式年遷宮の総合的研究』)参照。 [002-000]

JD2360136.5 寛延2年8月14日 (1749/9/25)
8月14日 『古今集』書写始か。
[Y000224-000-000]

『経籍』「○八月十四日 古今写始」(宣長全集:20-627)。 [001-000]

JD2360149.5 寛延2年8月27日 (1749/10/8)
8月27日 勅使藤波和忠到着する。また夕方、上使畠山民部大輔国祐が到着。
[Y000225-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360150.5 寛延2年8月28日 (1749/10/9)
8月28日 御遷宮奉行稲垣摂津守の臣稲垣十左衛門が来て世義寺に宿泊する。
[Y000226-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360151.5 寛延2年8月29日 (1749/10/10)
8月29日 内宮御読合が行われる。
[Y000227-000-000]

読合は「御装束神宝読合(おんしょうぞくしんぽうとくごう)」と言い、新しく調進された御装束と神宝とを殿内に奉飾するのに先立ち、式目に照らし合わせ読み合わせをする儀式である。「御装束神宝読合」櫻井治男(『伊勢神宮式年遷宮の総合的研究』)参照。 [001-000]

『(今井田)日記』「小○晦日 内宮御読合」(宣長全集:16-22)。 [002-000]

JD2360152.5 寛延2年9月1日 (1749/10/11)
9月1日 内宮遷宮。
[Y000228-000-000]

『(今井田)日記』「九月朔日 酉〔戌〕刻【晴天】内宮御遷宮」(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360154.5 寛延2年9月3日 (1749/10/13)
9月3日 外宮御読合が行われる。
[Y000229-000-000]

『(今井田)日記』「○三日 外宮御読合」(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360155.5 寛延2年9月4日 (1749/10/14)
9月4日 外宮遷宮。
[Y000230-000-000]

『(今井田)日記』「四日 戌刻【終日雨天、遷宮時晴】外宮御遷宮」(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360167.5 寛延2年9月16日 (1749/10/26)
9月16日 実名「栄貞」の読み方を「ヨシサダ」から「ナガサダ」に変える。
[Y000231-000-000]

『日記』「○実名栄貞、元来与支沙駄(ヨシサダ)唱フ、今年九月十六日、自改唱奈賀佐多(ナガサダ)」(宣長全集:16-7)。 [001-000]

『今井田日記』「九月十六日 実名自栄貞(ナガサダ)ト改ム、モトハ栄貞(ヨシサタ)トトナヘタリ」(宣長全集:16-19)。 [002-000]

JD2360167.5 寛延2年9月16日 (1749/10/26)
9月16日 両宮参拝。
[Y000232-000-000]

『(今井田)日記』「○七月朔、両宮参」(宣長全集:16-19)。 [001-000]

JD2360161.5 寛延2年9月10日 (1749/10/20)
9月中旬 『秀歌之体』を書写する。
[Y000233-000-000]

『三十六歌仙・百人一首・詠歌大概・秀歌之体』として合綴。奥書「寛延二年九月中旬 華丹今井田栄貞書写」。 [001-000]

JD2360173.5 寛延2年9月22日 (1749/11/1)
9月22日 俳名華丹(軒)を華風と改む。
[Y000234-000-000]

『日記』「○同月廿二日、俳名号華風」(抹消)(宣長全集:16-7)。『(今井田)日記』「○廿二日、華風ト改ム、モトハ華丹」(宣長全集:16-19)。 [001-000]

宣長に俳名はあっても実際の俳諧作品は現在確認されていない。 [002-000]

JD2360183.5 寛延2年10月2日 (1749/11/11)
10月2日より 正住院主につき、『易経』、『詩経』、『書経』、『礼記』の素読を習う。
[Y000235-000-000]

『日記』「同年十月二日ヨリ素読、師正住院住主」(宣長全集:16-7)。 [001-000]

『(今井田)日記』「十月二日、素読学聖衆〔正住〕院、易経ヨム、詩経ヨム、書経ヨム」(宣長全集:16-19)。 [002-000]

『日記(万覚)』「正住院素読ノ覚、易経、詩経、書経、礼記以上」(宣長全集:16-12)。 [003-000]

正住院は伊勢市岡本町にあった禅宗の寺院(『宇治山田市史』下-995)。 [004-000]

JD2360189.5 寛延2年10月8日 (1749/11/17)
10月8日 『三十六歌仙』を書写する。
[Y000236-000-000]

『三十六歌仙・百人一首・詠歌大概・秀歌之体』として合綴。奥書「寛延二年神無月八日今華風栄貞写之」。 [001-000]

JD2360197.5 寛延2年10月16日 (1749/11/25)
10月16日 『百人一首』を書写する。
[Y000237-000-000]

『三十六歌仙・百人一首・詠歌大概・秀歌之体』として合綴。奥書「寛延二年己巳神無月十六日今華風栄貞書」。 [001-000]

JD2360202.5 寛延2年10月21日 (1749/11/30)
10月21日 松平筑前守(黒田継高)参宮。
[Y000238-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-22)。 [001-000]

JD2360206.5 寛延2年10月25日 (1749/12/4)
10月25日 松坂に行く。
[Y000239-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-19)。 [001-000]

JD2360210.5 寛延2年10月29日 (1749/12/8)
10月29日 松坂より帰る。
[Y000240-000-000]

『(今井田)日記』(宣長全集:16-19)。 [001-000]

JD2360270.5 寛延2年12月 (1750/2/6)
12月 『古今集』異本校合し「古今集異本附 一本之異也」を記す。
[Y000241-000-000]

「古今集異本附 一本之異也」(全8枚)に、「今集異本附、一本之異也、巳十二月廿日、華風、イ本附」とある。『古今集』を二種の本で校合し、その異同を記す(『新規寄贈品目録』・P145)。 [001-000]

JD2360270.5 寛延2年 (1750/2/6)
寛延2年 専ら歌道に心を寄す。
[Y000242-000-000]

『(今井田)日記』「△去辰ノ年ヨリ、和歌道ニ志、△今年巳ノ年ヨリ、専ラ歌道ニ心ヲヨス」(宣長全集:16-19)。「和歌道」と「歌道」は、和歌の勉強と、詠歌と言う違いであろうか。 [001-000]

JD2360270.5 寛延2年 (1750/2/6)
寛延2年 『詠歌大概』を書写する。
[Y000243-000-000]

『三十六歌仙・百人一首・詠歌大概・秀歌之体』として合綴。他の3部が寛延2年の書写であることから推定した。 [001-000]

JD2360270.5 寛延2年 (1750/2/6)
寛延2年 『源氏物語覚書』(附「詠謌問答集栄貞不審」)の稿成るか。
[Y000244-000-000]

墨附14丁。表紙の署名「今華風」から、華風と名乗った9月以降、翌12月、今井田家離縁までの著作であろう。 [001-000]

JD2360270.5 寛延2年 (1750/2/6)
寛延2年 詠として『石上稿』に66首載せる。
[Y000245-000-000]

JD2360270.5 寛延2年 (1750/2/6)
寛延2年 荒木田麗、西山昌林の印可を受ける。
[Y000246-000-000]

「荒木田麗女年譜」千田安子(『女子大国文』4号)参照。 [001-000]


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