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JD2363577.5 宝暦9年1月 (1759/2/26)
宝暦9年(1759)己卯 宣長30歳。勝55歳、はん28歳。
[Y001011-000-000]

【この年の概要】 [001-000]

3月、『伊勢物語』開講。 [001-001]

JD2363549.5 宝暦9年1月1日 (1759/1/29)
1月1日 読書始、『古今集』読む。
[Y001012-000-000]

『日録』「宝暦九年己卯正月元日、雨天、今日は例にまかせて、文よみはしめに、古今集よみぬ」(宣長全集:16-145)。読書始めに『古今集』序を読んだことは宝暦12年(1762)1月2日、同13年元旦にも見える。 [001-000]

JD2363549.5 宝暦9年1月1日 (1759/1/29)
1月1日頃 「三十而立」の題で歌を詠む。
[Y001013-000-000]

『石上稿』(宣長全集:15-243)。 [001-000]

JD2363577.5 宝暦9年1月 (1759/2/26)
春 「百首歌」前半を詠む。後半は宝暦13年(1763)春詠み、完了したのは12月13日。
[Y001014-000-000]

「同九年己卯春詠百首【夜虫以下同十三年癸未春詠之】」(宣長全集:18-130)。宝暦13年(1763)12月13日条参照。 [001-000]

JD2363577.5 宝暦9年1月 (1759/2/26)
春 妹俊(20歳)、宮崎氏を離縁となる。
[Y001015-000-000]

『日録』「今春、俊宮崎氏離縁」(宣長全集:16-146) [001-000]

同年8月、俊は宮崎氏に再嫁する。荷物は宝暦12年(1762)1月10日まで宣長宅に留め置かれたか。同日条参照。 [002-000]

JD2363558.5 宝暦9年1月10日 (1759/2/7)
1月中旬 小津正啓より白菊という豆腐をもらう。
[Y001016-000-000]

『石上稿』(宣長全集:15-243)。 [001-000]

JD2363560.5 宝暦9年1月12日 (1759/2/9)
1月12日 嶺松院会。当座出詠、浅原義方・小津道円、中里栄宣、小津正啓、春庵、中津光多、浜田明達、清地。
[Y001017-000-000]

『日録』「十二日、嶺松院和歌会始」(宣長全集:16-145)。宣長の日記に於ける嶺松院会の初見である。 [001-000]

『詠草会集』第8冊。同集はこの日の記録で始まる。表紙に「宝暦九卯正月詠草会集、其八」と記す。『石上稿』(宣長全集:15-243)。 [002-000]

JD2363561.5 宝暦9年1月13日 (1759/2/10)
1月13日 年始開講、『源氏物語』「榊巻」より始める。
[Y001018-000-000]

『日録』「十三日、夜源氏物語開講、此源氏の講談は、去年の夏よりはしめけるか、冬中に葵巻まておはりて、こよひ榊より又はしめぬ」(宣長全集:16-145)。 [001-000]

JD2363572.5 宝暦9年1月24日 (1759/2/21)
1月24日 宮中で御会始が行われる。
[Y001019-000-000]

『和歌の浦』巻5に「宝暦九年己卯正月廿四日御会始」として写す。書写年代は不明。 [001-000]

JD2363573.5 宝暦9年1月25日 (1759/2/22)
1月25日 嶺松院会。
[Y001020-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-243)。 [001-000]

JD2363583.5 宝暦9年2月6日 (1759/3/4)
2月6日 前京都所司代で、去年、老中に抜擢された松平右京大夫が、江戸下向のための参宮で松坂に宿泊する。
[Y001021-000-000]

『日録』(宣長全集:16-145)。 [001-000]

JD2363584.5 宝暦9年2月7日 (1759/3/5)
2月7日 晴天、初午。
[Y001022-000-000]

『日録』(宣長全集:16-145)。 [001-000]

JD2363588.5 宝暦9年2月11日 (1759/3/9)
2月11日 嶺松院会。
[Y001023-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-244)。 [001-000]

当日の『詠草会集』に「稲掛為昭」として棟隆が出詠する。宝暦8年(1758)11月25日条参照。 [002-000]

JD2363602.5 宝暦9年2月25日 (1759/3/23)
2月25日 嶺松院会。
[Y001024-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-244)。 [001-000]

JD2363607.5 宝暦9年2月30日 (1759/3/28)
2月30日 叔父審誉上人江戸より帰郷する。
[Y001025-000-000]

『日録』「晦日、江戸真乗院和尚御登」(宣長全集:16-145)。上人が江戸に帰るのは4月22日。審誉上人については宝暦4年(1754)8月24日、江戸に帰る。 [001-000]

JD2363607.5 宝暦9年2月 (1759/3/28)
2月 『新撰三百六十首』1冊を購求する。
[Y001026-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「二月 一 新撰三百六十首 一 一匁八分」(宣長全集:20-397)。 [001-000]

JD2363607.5 宝暦9年2月 (1759/3/28)
2月頃 浜田明達二十五年祝賀の歌を詠む。
[Y001027-000-000]

『石上稿』(宣長全集:15-244)。宝暦8年(1758)11月23日条参照。 [001-000]

JD2363611.5 宝暦9年3月4日 (1759/4/1)
3月4日 『伊勢物語』講釈を開始する。定日は4の夜。
[Y001028-000-000]

『日録』「三月四日、夕伊勢物語開講、自今四之夕為定日」(宣長全集:16-145)。 [001-000]

『本居宣長随筆』巻1に、同集に関する記事有り(宣長全集:13-8)。またこの年『伊勢物語』『勢語臆断』を写し、『真名伊勢物語』を購求する。 [002-000]

JD2363616.5 宝暦9年3月9日 (1759/4/6)
3月9日 この日より15日まで、射和蓮生寺回向。
[Y001029-000-000]

『日録』に「去頃炎上、於仮堂修之」(宣長全集:16-145)とある。 [001-000]

JD2363618.5 宝暦9年3月11日 (1759/4/8)
3月11日 嶺松院会。兼題、当座の詠の他、嶺松院の名を頭に歌を詠む。
[Y001030-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-244)。同集、兼題、当座に続き、「三月十一日月次の会にて嶺松院へこれかれあつまりて歌よみける折しも軒端ちかき紅梅さかりなりけれはそれを題にて此院の名をわかちてかしらにをきてをの/\よみける」とある。 [001-000]

JD2363620.5 宝暦9年3月13日 (1759/4/10)
3月13日 この日より15日まで、樹敬寺庫裏造立成就供養。頓写法事説法あり。
[Y001031-000-000]

『日録』(宣長全集:16-145)。 [001-000]

JD2363623.5 宝暦9年3月16日 (1759/4/13)
3月16日 横滝寺に参詣する。
[Y001032-000-000]

『日録』「十六日、詣横滝寺」(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363632.5 宝暦9年3月25日 (1759/4/22)
3月25日 嶺松院会
[Y001033-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-244)。 [001-000]

JD2363637.5 宝暦9年4月1日 (1759/4/27)
4月1日 はん、山田林氏母堂(母かつの姉)と松坂出立、初瀬詣の後、上京。
[Y001034-000-000]

『日録』「四月朔日、伴与山田林氏母堂同道、詣初瀬上京」(宣長全集:16-146)。 [001-000]

帰着。同月14日。 [002-000]

JD2363644.5 宝暦9年4月8日 (1759/5/4)
4月8日 伊賀町で京都興聖寺子安地蔵の開帳始まる。
[Y001035-000-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [001-000]

伊賀町は松坂より1里ほど南西、参宮街道沿いの町。興聖寺には延享5年(1748)4月25日参詣している。 [002-000]

JD2363646.5 宝暦9年4月10日 (1759/5/6)
4月10日 金沢城炎上焼失する。
[Y001036-000-000]

『日録』「今月、加州金沢城炎上」(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363647.5 宝暦9年4月11日 (1759/5/7)
4月11日 嶺松院会。兼題、当座の詠の他、参加者の名を詠み込んだ歌や、物名を詠む。常念寺入仏につき15日まで供養法事。
[Y001037-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』は、兼題、当座の詠の他、「四月十一日嶺松院にて人々の名をかくしてよめる まさひろ【正啓】」「同とき物名 さくら やなき ふち」の詞書で歌を収める。(宣長全集:15-244)。 [001-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [002-000]

JD2363650.5 宝暦9年4月14日 (1759/5/10)
4月14日 はん等帰着。
[Y001038-000-000]

『日録』「十四日、林氏母堂及伴帰着」(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363653.5 宝暦9年4月17日 (1759/5/13)
4月17日 隠居家の小津英昌結納。相手は須賀九郎兵衛女。
[Y001039-000-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [001-000]

英昌、この頃は孫左衛門と名乗る。宝暦8年(1758)6月21日条参照。 [002-000]

JD2363656.5 宝暦9年4月20日 (1759/5/16)
4月下旬 江戸で大名から武家町人に至るまで倹約令が出る。今回のは特に厳しいとの噂である。
[Y001040-000-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [001-000]

『徳川実記』(宣長全集:9-732)。 [002-000]

JD2363658.5 宝暦9年4月22日 (1759/5/18)
4月22日 叔父審誉上人、江戸に帰る。
[Y001041-000-000]

『日録』「廿二日、真乗院発足、還江戸」(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363661.5 宝暦9年4月25日 (1759/5/21)
4月25日 嶺松院会。
[Y001042-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-245)。 [001-000]

JD2363664.5 宝暦9年4月28日 (1759/5/24)
4月28日 天神裏で大坂亀屋の芝居始まる。藤堂家江戸柳原の第焼失。
[Y001043-000-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363665.5 宝暦9年4月 (1759/5/25)
4月 春からこの月にかけ旱天。各所で雨乞い。春の雨乞いは珍しい。
[Y001044-000-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363666.5 宝暦9年5月1日 (1759/5/26)
5月上旬頃 有賀氏会での、前年9月から12月までの兼題と、2月からの当座を『石上稿』に記載する。
[Y001045-000-000]

『有賀長川添削詠草』巻3に寅(宝暦8)9月から12月までの兼題と当座の添削が載る(宣長全集:18-58)。『石上稿』では嶺松院会4月25日と5月11日分の間に挟まれる(宣長全集:15-245)。有賀氏会については宝暦6年(1756)2月15日条参照。 [001-000]

JD2363671.5 宝暦9年5月6日 (1759/5/31)
5月6日 『俊成卿九十賀記』を書写する。
[Y001046-000-000]

奥書「宝暦九年丁卯五月六日 清蕣庵本居宣長」自筆本、明治37年(1904)11月本居家より某氏に贈与され、現所在不明。 [001-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「同 一、俊成卿九十賀記 一 写」(宣長全集:20-397) [002-000]

本書は、建仁3年(1203)11月23日、和歌所での俊成九十賀の記録。 [003-000]

JD2363676.5 宝暦9年5月11日 (1759/6/5)
5月11日 嶺松院会。
[Y001047-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-246)。 [001-000]

JD2363678.5 宝暦9年5月13日 (1759/6/7)
5月13日 栄保大姉二十七回忌で牡丹餅を近所に配る。
[Y001048-000-000]

栄保大姉は祖母。享保18年(1733)5月15日条参照。5月15日条参照。 [001-000]

JD2363679.5 宝暦9年5月14日 (1759/6/8)
5月14日 栄保大姉二十七回忌の非時を配り、夕方から一挺切念仏修行。この日は『伊勢物語』講釈の式日(4の日)であるが休講か。
[Y001049-000-000]

5月15日条参照。 [001-000]

JD2363680.5 宝暦9年5月15日 (1759/6/9)
5月15日 栄保大姉二十七回忌。
[Y001050-000-000]

『日録』(宣長全集:16-146)。 [001-000]

JD2363681.5 宝暦9年5月16日 (1759/6/10)
5月16日 『仙洞勅点通茂卿百首/仙洞御製百首通茂卿点』書写する。
[Y001051-000-000]

奥書「宝暦九年丁卯五月十六日 清蕣庵宣長謹写」自筆本、明治37年11月本居家より某氏に贈与され、現所在不明)。 [001-000]

JD2363690.5 宝暦9年5月25日 (1759/6/19)
5月25日 嶺松院会。
[Y001052-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-246)。 [001-000]

JD2363695.5 宝暦9年5月 (1759/6/24)
5月 『真名伊勢物語』2冊、『菅家万葉集』2冊を購求する。
[Y001053-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「五月 一、真名いせ物語 二 四匁四分 同 一、俊成卿九十賀記 一 写 一、菅家万葉集 二 二匁九分」(宣長全集:20-397)。『俊成卿九十賀記』は5月6日書写。 [001-000]

JD2363696.5 宝暦9年6月1日 (1759/6/25)
6月1日 『伊勢物語』を書写する。
[Y001054-000-000]

奥書「宝暦九年丁卯六月朔日 清蕣庵本居宣長」(個人所蔵)。 [001-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「六月 一、伊せ物語 一 写」(宣長全集:20-397)。 [002-000]

JD2363697.5 宝暦9年6月2日 (1759/6/26)
6月2日 『老槐集』を書写する。
[Y001055-000-000]

奥書「宝暦九年丁卯六月二日 蕣庵宣長写」自筆本、明治37年(1904)11月本居家より某氏に贈与され、現所在不明。本書は、中院通茂の家集。 [001-000]

JD2363706.5 宝暦9年6月11日 (1759/7/5)
6月11日 嶺松院会。
[Y001056-000-000]

『詠草会集』巻8。『石上稿』(宣長全集:15-247)。但し、同月25日会の後に記載。 [001-000]

JD2363720.5 宝暦9年6月25日 (1759/7/19)
6月25日 嶺松院会。
[Y001057-000-000]

『詠草会集』第8冊。「行事」とあり。『石上稿』(宣長全集:15-247)。 [001-000]

JD2363730.5 宝暦9年7月6日 (1759/7/29)
7月6日 嶺松院会。
[Y001058-000-000]

『詠草会集』第8冊。『石上稿』(宣長全集:15-247)。 [001-000]

JD2363731.5 宝暦9年7月7日 (1759/7/30)
7月7日 七夕7首を詠むか。
[Y001059-000-000]

『石上稿』(宣長全集:15-247)。 [001-000]

JD2363749.5 宝暦9年7月25日 (1759/8/17)
7月25日 嶺松院会。
[Y001060-000-000]

『詠草会集』第8冊。同集はこの日の記録で終わる。『石上稿』(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363764.5 宝暦9年閏7月10日 (1759/9/1)
閏7月10日頃 小津正啓より歌を添えて寒の水を請うて来たので、寒の水と共に歌を贈る。
[Y001061-000-000]

『石上稿』詞書「閏七月十日比いとあつき日正啓もとより歌よみて寒の水こひにをこせたりけるつかはすとて」(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363765.5 宝暦9年閏7月11日 (1759/9/2)
閏7月11日 『明月記抜書』書写。嶺松院会。稲懸棟隆実弟山口昭方(柏屋兵助)初めて出詠する。
[Y001062-000-000]

奥書「右明月記抄出卒爾写之字体甚見苦且伝襲之誤歟不審之条不少姑従本而写之尚得善本而再可浄写者也、宝暦九年丁卯閏七月十一日、蕣庵本居宣長書」。 [001-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「同 一、明月記抜書 一 二匁」(宣長全集:20-397) [002-000]

本書は、文治4年(-4712)4月23日の『千載集』奏覧記事に始まり、建保3年(-4712)9月10日の「名所百首」に終わる和歌関係記事の抄出である。 [003-000]

『本居宣長随筆』巻1に『明月記』からの引用有り(宣長全集:13-10)。 [004-000]

『詠草会集』第9冊。同集はこの日の記録で始まる。表紙に「宝暦九卯閏七月 詠草会集 其九」と記す。『石上稿』(15-248・249)。 [005-000]

昭方の出席については「稲掛棟隆年譜考-本居宣長の門人伝-」中村一基(『中央大学國文』23号)参照。但し正式入会は宝暦12年(1762)6月11日か。同日条参照。 [006-000]

JD2363779.5 宝暦9年閏7月25日 (1759/9/16)
閏7月25日 嶺松院会。
[Y001063-000-000]

『詠草会集』第9冊。当座のみ出詠。この会より、須賀章峯改め直躬となる。 [001-000]

『石上稿』(宣長全集:15-248)。 [001-001]

JD2363783.5 宝暦9年閏7月 (1759/9/20)
閏7月 『紫式部日記』2冊、『和字正濫鈔』5冊、『明月記抜書』1冊、『狭衣物語 下紐附』16冊を購求。、
[Y001064-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「閏七月、一、紫式部日記 二 四匁八分 同一、和字正濫鈔 五 七匁八分 同 一、明月記抜書 一 二匁 同 一、狭衣下紐付 十六 十九匁」(宣長全集:20-397)。『明月記抜書』は閏七月十一日書写。2匁という金額まで示されていてこの間の差違については分からない。 [001-000]

宣長と『狭衣物語』の関わり。宝暦1年(1752)8月7日、『狭衣考物』抄出。宝暦9年(1759)閏7月『狭衣物語 下紐附』16冊を購求。宝暦10年(1760)2月15日、校合。安永4年(1775)6月13日会読開始、安永5年(1776)10月5日終了。 [002-000]

JD2363783.5 宝暦9年閏7月 (1759/9/20)
閏7月 松坂朝田寺地蔵尊等開帳。特に朝田あたりは見世物多く、音呼(インコ?)が評判を博した。この鳥は、既に昨年京都で見ていると記す。
[Y001065-000-000]

『日録』「閏七月、自朔日、朝田寺地蔵尊開帳、至晦日、此時、菅相寺観音、清水村森薬師等開帳、西町永昌寺大日、於岸江村野開帳、於朝田寺辺見世物等数多、就中謂音呼鳥者最奇観、評判甚、此鳥、即去年於京都所見也」(宣長全集:16-147)。 [001-000]

JD2363790.5 宝暦9年8月7日 (1759/9/27)
8月7日 『後水尾院御集』を書写する。
[Y001066-000-000]

奥書「宝暦九年丁卯仲秋七日 蕣庵宣長謹写」自筆本、明治37年(1904)11月本居家より某氏に贈与され、現所在不明。 [001-000]

JD2363793.5 宝暦9年8月10日 (1759/9/30)
8月中旬頃 中津光多、須賀直躬の和文賞美の歌を詠む。
[Y001067-000-000]

『石上稿』収載。詞書「光多初瀬詣倭文章賞美して」「直躬薄暮雁倭文章賞美して」(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363794.5 宝暦9年8月11日 (1759/10/1)
8月11日 嶺松院会。
[Y001068-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363808.5 宝暦9年8月25日 (1759/10/15)
8月25日 嶺松院会。
[Y001069-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363813.5 宝暦9年8月30日 (1759/10/20)
8月30日 『勢語臆断』4巻4冊の書写が終わる。
[Y001070-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「九月 一、勢語臆断 四 写」(宣長全集:20-397)。 [001-000]

奥書「宝暦九年八月晦日、清蕣庵本居宣長写」。 [002-000]

8月晦日に書写が終わり9月に製本が出来たのであろうか。 [003-000]

伊勢貞丈著『勢語臆断別勘』は天明4年(1784)9月に春村が写し宣長が校合した。 [004-000]

JD2363813.5 宝暦9年8月 (1759/10/20)
8月 『栄花物語』21冊を購求する。
[Y001071-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「八月 一、栄花物語 廿一 廿八匁六分」(宣長全集:20-397)。 [001-000]

JD2363813.5 宝暦9年8月 (1759/10/20)
8月 春頃離縁となった妹俊が、再び宮崎氏に嫁いだ。
[Y001072-000-000]

『日録』「八月、俊再嫁宮崎氏」(宣長全集:16-147)。この間の事情は不明。 [001-000]

JD2363821.5 宝暦9年9月8日 (1759/10/28)
9月8日 夕方、小津英昌の婚礼が行われる。
[Y001073-000-000]

『日録』「九月八日、孫左衛門娶婦、今夕婚礼」(宣長全集:16-147)。 [001-000]

明和2年(1765)5月、孫右衛門、妻須賀氏女離縁。 [002-000]

JD2363822.5 宝暦9年9月9日 (1759/10/29)
9月9日 昨日婚礼の小津英昌に祝いの歌を贈る。
[Y001074-000-000]

『石上稿』詞書に「同姓某婚姻ヲ賀ス、九月八日夕婚礼此歌九日ニ遣ス」(宣長全集:15-249)。 [001-000]

JD2363824.5 宝暦9年9月11日 (1759/10/31)
9月11日 嶺松院会。
[Y001075-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363838.5 宝暦9年9月25日 (1759/11/14)
9月25日 嶺松院会。
[Y001076-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-248)。 [001-000]

JD2363843.5 宝暦9年9月 (1759/11/19)
9月 流行正月。
[Y001077-000-000]

『日録』「今月、町々家々正月之儀式ヲナス、或餅ツキ、豆ハヤシ、雑煮等アリ、甚シキ者ハ、門餝、松ヲタツルニ至ル、他国ヨリ段々流行来ルト也」(宣長全集:16-147)。 [001-000]

『日本民俗学辞典』(中山太郎著)に「正月の仕直し」と言う項がある。「旱魃洪水虫害等が連続するか、兵乱相続くか悪疫流行甚だしき際には不時に正月祝ひをすれば凶災免れ得べしと信じ、餅つさ(き?)門松立て注連縄張り屠蘇酒酌む事が、中古以来間歇的に各地で行はれた。安永七年に疫癘除として六月朔日を正月元旦とし、天明八年五月、安政五年八月、明治四十三年十一月等に同様の事が行はれた。(奇態流行史)。(下略)」(P656)。宣長の記録では安永7年(1778)6月条に見える。同条参照。 [002-000]

JD2363872.5 宝暦9年10月 (1759/12/18)
冬 村田清兵衛の仲介により、村田彦太郎女ふみとの縁談話起こる。
[Y001078-000-000]

宝暦10年1月26日参照。 [001-000]

JD2363854.5 宝暦9年10月11日 (1759/11/30)
10月11日 嶺松院会、欠席。
[Y001079-000-000]

『詠草会集』第9冊には出詠。『石上稿』詞書「十月十一日会にえまからでよみて人々の許へつかはしける、今日兼題時雨易過也」(宣長全集:15-249)。 [001-000]

宝暦9年10月11日#○この頃 或る雪の日、山里に行くことあり。そこでそば切りを振る舞われ、歌を詠む。 [002-000]

『石上稿』詞書「雪ふりける日山里へまかりけるにそはきりといふものくはせけれはそれをかくして」(宣長全集:15-250)。同集の歌の配列から時期を推測した。 [003-000]

JD2363868.5 宝暦9年10月25日 (1759/12/14)
10月25日 嶺松院会。
[Y001080-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-250)。 [001-000]

JD2363869.5 宝暦9年10月26日 (1759/12/15)
10月26日 歓室道喜童子五十回忌。
[Y001081-000-000]

『日録』(宣長全集:16-147)。道喜童子は、祖父定治の子。母は栄保大姉。4歳で没す(『本居氏系図』)。 [001-000]

JD2363878.5 宝暦9年11月6日 (1759/12/24)
11月6日 魚町山神の当番のため町内の子供や大人35,6人を招き振舞う。
[Y001082-000-000]

『日録』(宣長全集:16-147)。 [001-000]

1日から5日までの子供宿を清八家で行い、6日祭本日の食事を本居家が行った。松坂の山の神祭については『松坂風俗記』服部中庸著の逸文、また宣長が当番を勤めたこの年、宝暦13年(1763)、安永5年(1776)、天明4年(1784)、寛政5年(1793)の各11月6日条に詳しい。 [002-000]

JD2363883.5 宝暦9年11月11日 (1759/12/29)
11月11日 嶺松院会。
[Y001083-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-250)。 [001-000]

JD2363883.5 宝暦9年11月11日 (1759/12/29)
11月11日 小津藤九郎没。享年72歳。
[Y001084-000-000]

『日録』「十一月十一日、小津藤九郎入道単入頓死、七十二歳」(宣長全集:16-147)。藤九郎は、もと江戸店第12代支配人。松坂博労町の生まれで、同町に住んだ(『本居氏系図』「歴代手代略記」・20-133)。 [001-000]

JD2363897.5 宝暦9年11月25日 (1760/1/12)
11月25日 嶺松院会。
[Y001085-000-000]

JD2363911.5 宝暦9年12月9日 (1760/1/26)
12月9日夜 『源氏物語』講釈、年内終業。「玉葛巻」の中途まで読む。
[Y001086-000-000]

『日録』「源氏物語講釈、九日夜終、玉葛巻の中途迄いたれり」(宣長全集:16-147)。 [001-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-250)。 [002-000]

JD2363913.5 宝暦9年12月11日 (1760/1/28)
12月11日 嶺松院会。
[Y001087-000-000]

『詠草会集』第9冊。『石上稿』(宣長全集:15-251)。 [001-000]

JD2363914.5 宝暦9年12月12日 (1760/1/29)
12月12日 『伊勢物語』講説終業。
[Y001088-000-000]

『日録』「十二日、夜、伊勢物語講説終業」(宣長全集:16-147) [001-000]

JD2363932.5 宝暦9年12月 (1760/2/16)
12月 年貢米の相場は、金10両31俵位。
[Y001089-000-000]

『日録』「年貢米相場、三十一表位、諸色価甚賤、当年天下一同豊年之由」(宣長全集:16-147)。この後も宣長の日記にはその年の米価が記されることがある。基準が金10両であったことは安永1年(1772)12月末に「今冬米、金十両三十俵内外、銭五貫文、寒気薄」とあることから推測される。 [001-000]

JD2363932.5 宝暦9年 (1760/2/16)
宝暦9年 『排蘆小船』稿成か。宝暦8年(1758)5月3日参照。
[Y001090-000-000]

JD2363932.5 宝暦9年 (1760/2/16)
宝暦9年 同年詠として『石上稿』に207首載せる。
[Y001091-000-000]

『石上稿』「宝暦九年己卯詠総二百七【二千二百八十一】」(宣長全集:15-251)。 [001-000]

JD2363932.5 宝暦9年 (1760/2/16)
宝暦9年 この年、年中行事を定める。
[Y001092-000-000]

『日録』の最後より書かれる。一時に書かれたものではなく各月を記し空欄とし、事ある毎に追加したと思われる。参考のため全文を引く。 [001-000]

「年中行事、宝暦九己卯改。 [001-001]
正月、元日 早朝、年男若水汲。鏡餅居ハル。雑煮祝【六日朝マテ同】。朝、雑煮後掃始。産神詣。陰陽師参、鏡餅居ユ。夜、三ヶ日之間神々燈明。 [001-002]
二日、早朝、御役所ヘ御礼。惣屋敷礼、町々礼。 [001-003]
三日、鏡ナラシ【供鏡オロス】 [001-004]
六日、夕、神々燈明。七種ハヤシ。 [001-005]
七日、早朝、松飾オロシ。朝福煮。 [001-006]
十四日、夜、神々燈明。 [001-007]
十五日、早朝、年徳飾撤。朝、小豆粥。 [001-008]
十九日、樹清大姉祥忌、斎米一升、銭三十文、来迎寺遣、七日別時、今夕廻向。 [001-009]
二月 [001-010]
三月、三日、所々礼。 [001-011]
十八日、判形 [001-012]
四月、五月、六月、七月、八月 [001-013]
九月、十九日、自今日至廿六日夕十夜、此間方丈斎米一升、銭五十文、法樹院五合、二十文、並次念仏 [001-014]
十月、五日、六日 夕、樹宝大姉祥月取越法事、斎米、次念仏如十夜。 [001-015]
十一月、今月、自山田古川善大夫御祓及暦等来、御初穂金百疋遣 [001-016]
廿七日、道休大徳養仙寺懺法」(宣長全集:16-160)。 [001-017]

3月3日、5月5日に節句参りをしていたことは、『日録』宝暦10年(1760)条に遠慮事あり行わなかったという記事から窺える。 [002-000]

樹清大姉は宣長祖父定治の長女。4代小津次郎左衛門武昭妻。樹清大姉七日別時については『別本家の昔物語』(宣長全集:20-46)、また、安永7年(1778)1月19日条参照。 [003-000]

御師古川善大夫については『別本家の昔物語』(宣長全集:20-45)に記述がある。 [004-000]

JD2363932.5 宝暦9年 (1760/2/16)
宝暦9年 この年から翌年にかけて『今昔物語』を読むか。この『今昔物語』は享保5年(1720)刊 井沢蟠竜考訂本。
[Y001093-000-000]

『本居宣長随筆』第1冊、この年に集中的に勉強した『伊勢物語』、また抜書を作った『明月記』の記事に続いて載り、その後に翌10年5月購求の『百人一首玄旨抄』記事が載る。また、第5冊には『広益俗説弁』、宝暦7年(1757)9月条参考、に続いて引かれ推測を裏付ける。 [001-000]


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