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JD2364316.5 宝暦11年1月 (1761/3/6)
宝暦11年(1761)辛巳 宣長32歳。勝57歳、はん30歳。
[Y001187-000-000]

【この年の概要】 [001-000]

2月、妹出家。3月、『阿毎菟知弁』執筆。5月、『万葉集』開講。同月、『字音仮字用格宝暦十一年稿』執筆。11月4日、草深氏との婚儀調う。 [001-001]

JD2364287.5 宝暦11年1月1日 (1761/2/5)
1月1日 晴天、読書始に『古今集』序を読むか。
[Y001188-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。同、宝暦12年(1762)1月2日条より推定。同日条参照。 [001-000]

JD2364288.5 宝暦11年1月2日 (1761/2/6)
1月2日 晴天。
[Y001189-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364289.5 宝暦11年1月3日 (1761/2/7)
1月3日 晴天。
[Y001190-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364293.5 宝暦11年1月7日 (1761/2/11)
1月7日 昨年の将軍の宣下に拠る紀州巡見衆、今日松坂に一宿。
[Y001191-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。『徳川実記』{宝暦10年}7月11日条に巡見使任命記事が見える。 [001-000]

JD2364298.5 宝暦11年1月12日 (1761/2/16)
1月12日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001192-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。探題出詠、稲懸棟隆、小津正啓、浜田明達、蕣庵、須賀直躬、中津光多。本巻はこの日の会から書き始められる。表紙に「宝暦十一年辛巳 嶺松和歌集 其十」と宣長の筆で記す。『詠草会集』第9冊末「新古歌合」に「正月十二日」として、勝ち数のみを記す。 [001-000]

『石上稿』(宣長全集:15-259)。当座は3月11日兼題の後に記す。 [002-000]

JD2364304.5 宝暦11年1月18日 (1761/2/22)
1月18日 円光大師五百五十回忌で知恩院に於いて大法要が営まれる。高辻胤長が勅使として立てられた。
[Y001193-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364305.5 宝暦11年1月19日 (1761/2/23)
1月19日 御忌法事が始まる。諸国からの参詣多し。松坂からも樹敬寺、清光寺が上京した。
[Y001194-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。清光寺での法事は宝暦10年(1760)9月19日条参照。 [001-000]

JD2364308.5 宝暦11年1月22日 (1761/2/26)
1月22日 知恩院で勅会法事が行われ庭上では伶人、舞楽が行われた。
[Y001195-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364311.5 宝暦11年1月25日 (1761/3/1)
1月25日 嶺松院会。
[Y001196-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-259)。 [001-000]

JD2364327.5 宝暦11年2月11日 (1761/3/17)
2月11日 雨、彼岸の入り。嶺松院会。この日が初午宵宮に当たるためか、当座物名で「はつむま」を詠む。但し、『嶺松和歌集』にはこの当座は記録されず。
[Y001197-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-259)。 [002-000]

JD2364328.5 宝暦11年2月12日 (1761/3/18)
2月12日 雨天、初午。
[Y001198-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364329.5 宝暦11年2月13日 (1761/3/19)
2月13日 14日、老中堀田相模守卒去により両日音曲停止。
[Y001199-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364330.5 宝暦11年2月14日 (1761/3/20)
2月14日 はん、剃髪。法名智遊(知遊)。
[Y001200-000-000]

『日録』「十四日、伴剃髪、法名智遊」(宣長全集:16-154)。『本居氏系図』「宝暦十一年辛巳二月十四日剃髪為尼、名智遊」(宣長全集:20-86)。 [001-000]

JD2364331.5 宝暦11年2月15日 (1761/3/21)
2月15日 井上河内守、参宮のため松坂宿泊。井上は前京都所司代、今度老中になり下向の途中である。
[Y001201-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364333.5 宝暦11年2月17日 (1761/3/23)
2月17日 井上河内守、参宮の帰途松坂で休憩。
[Y001202-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [001-000]

JD2364340.5 宝暦11年2月24日 (1761/3/30)
2月24日 二の午。
[Y001203-000-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。『【伊勢州飯高郡】松坂勝覧』「二月初午日、近辺ヨリ参詣オビタヾシクシテ市ヲナス、同二午日モ近年参詣多、コレハ先年初午天気アシカリシ故、願ヲ上テ二午奥院開帳、ソレヨリ毎年如此」(宣長全集:20-639)。 [001-000]

宝暦8年(1758)2月1日条参照。 [002-000]

JD2364341.5 宝暦11年2月25日 (1761/3/31)
2月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001204-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-259)。『詠草会集』第9冊末「新古歌合」に「二月廿五日」として、勝ち数のみを記す。 [001-000]

JD2364346.5 宝暦11年3月1日 (1761/4/5)
3月1日 義順没。享年35歳。
[Y001205-000-000]

『日録』「三月朔、小津道円嫡子僧義順死、卅五歳、明二日卯刻葬」(宣長全集:16-154)。義順は、角の小津清兵衛家、道円の嫡子。 [001-000]

JD2364348.5 宝暦11年3月3日 (1761/4/7)
3月3日 大菅中養父『国歌八論斥非』を執筆する。伊勢国巡見衆が通る。
[Y001206-000-000]

奥書「宝暦十一年辛巳三月上巳、中養父大菅公圭◎(玉篇に賛)美氏」、宣長写本。明和5年(1768)9月条参照。 [001-000]

『日録』(宣長全集:16-154)。 [002-000]

JD2364353.5 宝暦11年3月8日 (1761/4/12)
3月8日 唱阿大徳(宣長の祖父定治)三十三回忌法要で、鏡餅を配る。
[Y001207-000-000]

『日録』「八日、当年唱阿大徳卅三回忌、今月取越相勤、今日鏡餅配、十日夕一挺切、十一日斎、樹敬寺方丈及何似院、応称院、嶺松院、法樹院、並源四郎殿、孫左衛門殿等也、非時、利秀尼公、於重殿、於林殿、於金殿、於鷹殿、於登波殿、法樹院、母等也、非時後、百万遍修行」(宣長全集:16-154)。 [001-000]

何似院、応称院、嶺松院、法樹院は何れも樹敬寺の塔頭。現存せず。由緒や配置図は、昭和35年(1960)の『樹敬寺誌』山下法亮(樹敬寺)に載る。『別本家の昔物語』「樹敬寺十夜祠堂の事」に「樹敬寺当家の宿望取次は、法樹院の外に、嶺松ゐん、何似ゐん、応称院、この三院へ、ことに年忌の心ざしの物などつかはす事有、今に正月盆の礼物はする也」(宣長全集:20-45)。 [002-000]

JD2364355.5 宝暦11年3月10日 (1761/4/14)
3月10日 村田親次、松坂に下向する。11月6日まで滞在。
[Y001208-000-000]

『日録』「十日、与三兵衛自京下向」(宣長全集:16-154)。11月6日条参照。 [001-000]

JD2364355.5 宝暦11年3月10日 (1761/4/14)
3月10日 夕方一挺切を行う。
[Y001209-000-000]

3月8日条参照。 [001-000]

JD2364356.5 宝暦11年3月11日 (1761/4/15)
3月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。唱阿大徳三十三回忌法要。
[Y001210-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-259)。『詠草会集』第9冊末「新古歌合」に「三月十一日」として、勝ち数のみを記す。 [001-000]

3月8日条参照。 [002-000]

JD2364370.5 宝暦11年3月25日 (1761/4/29)
3月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001211-000-000]

『嶺松院会集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-259)。『詠草会集』第9冊末「新古歌合」に「三月廿五日」として、勝ち数のみを記す。 [001-000]

JD2364375.5 宝暦11年3月30日 (1761/5/4)
3月30日 母勝、参宮に出立。4月2日帰宅。
[Y001212-000-000]

『日録』「晦日、母人参宮、来二日下向」(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364375.5 宝暦11年3月 (1761/5/4)
3月 『阿毎菟知弁』稿成る。
[Y001213-000-000]

奥書「宝暦辛巳三月 本居宣長撰」。用紙柱刻は「曠懐堂蔵」とある。堀景山の書屋のもの。草稿断簡(「阿売菟知弁」)は『詩文稿』(本居文庫)にあり。宝暦7年(1757)1月20条。内容は『古事記』冒頭「天地初発」の「天地」の訓についての論。罫紙4枚の小論だが、宣長の古学に関する最初の著述である。 [001-000]

JD2364386.5 宝暦11年4月11日 (1761/5/15)
4月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。江戸より本居永喜来る。5月10日まで滞在する。
[Y001214-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-260)。『詠草会集』第9冊末「新古歌合」に「四月十一日」として、勝ち数のみを記す。 [001-000]

『日録』「四月十一日、元居永喜老【小津惣七殿事】自江戸来」(宣長全集:16-155)。『本居氏系図』に拠れば、永喜は隠居家四男(元閑、道樹、道有の弟)、つまり宣長父の実弟。元禄12年(1699)生。童名長五郎。後に本居永喜と称した。堀留町の店に勤め、後、江戸に住す。安永3年(1774)9月18日没、享年76歳。法名順永院念誉随法信士。二人の子も本居氏を称し、弟弥八郎は兵左衛門と改め本多備後守に仕えたと言う。この度の帰国は母寿光大姉の五十回忌のためであろう。 [002-000]

JD2364389.5 宝暦11年4月14日 (1761/5/18)
4月14日 大口村の宮崎家に再嫁した妹俊が巳の刻に男子出生、巳助と命名。
[Y001215-000-000]

『日録』「十四日、巳刻俊産男子【巳助】」(宣長全集:16-155)。天明6年(1786)10月25日条参照。 [001-000]

JD2364399.5 宝暦11年4月24日 (1761/5/28)
4月24日 雲誉寿光大姉五十回忌。
[Y001216-000-000]

『日録』「廿四日、雲誉寿光大姉五十回忌」(宣長全集:16-155)。寿光大姉は隠居家小津孫右衛門道智の妻。宣長の父、また小津躬充、永喜等の母である。 [001-000]

JD2364400.5 宝暦11年4月25日 (1761/5/29)
4月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001217-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-260)。『詠草会集』第9冊末「新古歌合」に「四月廿五日」として勝ち数のみを記す。 [001-000]

JD2364414.5 宝暦11年5月10日 (1761/6/12)
5月10日 本居永喜、江戸に帰る。
[Y001218-000-000]

『日録』「十日、永喜老還江戸」(宣長全集:16-155)。帰郷は4月11日。 [001-000]

JD2364415.5 宝暦11年5月11日 (1761/6/13)
5月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001219-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末「五月十一日新古合」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-260)。 [001-000]

JD2364428.5 宝暦11年5月24日 (1761/6/26)
5月24日 『枕草子』講釈を中断し、『万葉集』開講。定日、4の日とする。
[Y001220-000-000]

『日記』「廿四日、夜万葉集開講、先是枕艸子講之、雖未終之、中廃而講万葉、以四之日為定日」(宣長全集:16-155)。『枕草子』の講釈は宝暦10年(1760)5月26日に開始した。また、『万葉集』は12年目の安永2年(1773)12月14日に全巻終業した。同日条参照。 [001-000]

JD2364429.5 宝暦11年5月25日 (1761/6/27)
5月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001221-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末「五月廿五日」として新古歌合の勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-260)。 [001-000]

JD2364433.5 宝暦11年5月 (1761/7/1)
5月 『字音仮字用格宝暦十一年稿』成る。
[Y001222-000-000]

奥書「字音仮字用格宝暦十一年辛巳仲夏舜庵本居宣長撰」、15枚。裏面は『鈴屋歌集』巻2板下下書で末尾に「午ノ正月五日此巻板下書了」とある。「午ノ」は寛政11年(1799)。本書は既に後年の『字音仮字用格』と同じ書名であるが、この時点ではオヲ所属を正し得ていないが、既に「不審」と問題意識を持っている(宣長全集:5-解題19)。天理図書館所蔵。 [001-000]

JD2364441.5 宝暦11年6月8日 (1761/7/9)
6月8日 小津英昌、江戸に下向する。
[Y001223-000-000]

『日録』「六月八日、孫左衛門江戸下向」(宣長全集:16-155)。帰郷は9月下旬。 [001-000]

JD2364444.5 宝暦11年6月11日 (1761/7/12)
6月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001224-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末「六月十一日新古合」として、勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-261)。 [001-000]

JD2364445.5 宝暦11年6月12日 (1761/7/13)
6月12日 大御所徳川家重没、享年51歳。
[Y001225-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364448.5 宝暦11年6月15日 (1761/7/16)
6月15日 音曲停止のお触れが出る。
[Y001226-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364449.5 宝暦11年6月16日 (1761/7/17)
6月16日 大御所の死去により18日より20日まで、町家は蔀を半分閉ざし秘かに商売をし、寺院は片門を開くようにお触れが出る。また普請は25日まで停止。
[Y001227-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364457.5 宝暦11年6月24日 (1761/7/25)
6月24日 尾張中納言徳川宗勝没、享年52歳。
[Y001228-000-000]

JD2364458.5 宝暦11年6月25日 (1761/7/26)
6月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001229-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。この日は出席者全員当座のみ出詠。同巻末「六月廿五日新古合」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-261)。 [001-000]

JD2364463.5 宝暦11年6月 (1761/7/31)
6月 『新撰六帖』6冊を購入する。
[Y001230-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「巳六月 一、新撰六帖 六 五匁」(宣長全集:20-398)。☆『和歌の浦』第5冊は本書の引用で終わる。 [001-000]

JD2364467.5 宝暦11年7月4日 (1761/8/4)
7月4日 尾張大納言死去で、翌5日まで普請停止。
[Y001231-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364469.5 宝暦11年7月6日 (1761/8/6)
7月6日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001232-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末「七月六日新古合」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-261)。 [001-000]

JD2364473.5 宝暦11年7月10日 (1761/8/10)
7月10日 大御所葬儀。増上寺に葬る。
[Y001233-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364486.5 宝暦11年7月23日 (1761/8/23)
7月23日 松坂城代交代。井関弥五助が和歌山城代となり、渋谷角右衛門が着任する。
[Y001234-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364488.5 宝暦11年7月25日 (1761/8/25)
7月25日 嶺松院会。『嶺松院歌会兼題評』成る。
[Y001235-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊には、兼題とその題、当座とだけ記し歌の記載無し。『石上稿』(宣長全集:15-261)。「兼題評」は、小津正啓、中津光多、稲懸棟隆の歌の評と、宣長の自詠自評を書く(宣長全集:別2-469)。 [001-000]

JD2364492.5 宝暦11年7月 (1761/8/29)
7月 草深玄弘女たみとの縁談話起こる。
[Y001236-000-000]

11月4日条参照。 [001-000]

JD2364493.5 宝暦11年8月1日 (1761/8/30)
8月1日 将軍御台所五十宮御産、姫君誕生。
[Y001237-000-000]

『日録』(宣長全集:16-155)。 [001-000]

JD2364503.5 宝暦11年8月11日 (1761/9/9)
8月11日 嶺松院会。
[Y001238-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。当座のみ出詠。『石上稿』(宣長全集:15-261)。 [001-000]

JD2364513.5 宝暦11年8月21日 (1761/9/19)
8月21日 外祖母村田元寿没。享年85歳。法名、光誉忍室元寿法尼。忌日は22日とする。23日葬儀。
[Y001239-000-000]

『日録』「廿一日、夜丑刻、元寿尼公卒、八十五歳、以廿二日為忌日」(宣長全集:16-156)。元寿(1677〜1761)は村田孫兵衛豊商(元固)の妻。名は初、松坂西町荒木太左衛門の末女で、定治(唱阿大徳)の後妻栄保大姉の妹。宣長は、宝暦2年(1752)春の知恩院御忌法要に同道し参詣、また宝暦6年(1756)の八十賀に歌を贈る。 [001-000]

JD2364517.5 宝暦11年8月25日 (1761/9/23)
8月25日 嶺松院会。
[Y001240-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。宣長出詠無し。『石上稿』には兼題を載せる(宣長全集:15-262)。 [001-000]

JD2364512.5 宝暦11年8月20日 (1761/9/18)
8月下旬 謹慎少々緩和。
[Y001241-000-000]

『日録』(宣長全集:16-156)。 [001-000]

JD2364532.5 宝暦11年9月11日 (1761/10/8)
9月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001242-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。兼題のみ出詠。同巻末に「九月十一日歌合」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-262)。 [001-000]

JD2364534.5 宝暦11年9月13日 (1761/10/10)
9月13日 十三夜の歌を詠むか。
[Y001243-000-000]

『石上稿』(宣長全集:15-262)。 [001-000]

JD2364541.5 宝暦11年9月20日 (1761/10/17)
9月下旬 山田孟明、参宮の途次来訪する。小津英昌、江戸から帰る。
[Y001244-000-000]

10月10日条参照。 [001-000]

『日録』「下旬、孫左衛門自江戸帰」(宣長全集:16-156)。下向は6月8日。 [002-000]

JD2364546.5 宝暦11年9月25日 (1761/10/22)
9月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001245-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。兼題のみ出詠。同巻末に「九月十一日歌合」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(15-262・263)。 [001-000]

JD2364561.5 宝暦11年10月10日 (1761/11/6)
10月10日 山田孟明、参宮の帰途来訪し一宿する。
[Y001246-000-000]

『日録』「十月十日、京都山田周蔵、九月下旬参宮ニテ立寄、今日下向、一宿」(宣長全集:16-156)。 [001-000]

JD2364562.5 宝暦11年10月11日 (1761/11/7)
10月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001247-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末に「十月十一日歌合」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(15-262・263)。 [001-000]

JD2364571.5 宝暦11年10月20日 (1761/11/16)
10月下旬 宇治に行く須賀直躬に歌を贈る。
[Y001248-000-000]

『石上稿』(宣長全集:15-262)。詞書に「同し国の内」とあるので伊勢の宇治であろう。また「年の内はかしこになと聞ケは」とあり少なくとも年内の滞在予定であったことが分かる。11月11日条参照。 [001-000]

JD2364576.5 宝暦11年10月25日 (1761/11/21)
10月25日 嶺松院会。
[Y001249-000-000]

『嶺松院会集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-262)。 [001-000]

JD2364580.5 宝暦11年10月 (1761/11/25)
10月 『四式(浜成式 喜撰式 孫姫式 石見女式)』4冊、『六百番歌合』10冊、『枕詞灯明抄』3冊を購求する。
[Y001250-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「同十月 一、四式【浜成式 喜撰式 孫姫式 石見女式】四 二十匁、同一、六百番歌合 十 十四匁五分、一、枕詞灯明抄 三 四匁五分」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2364584.5 宝暦11年11月4日 (1761/11/29)
11月4日 草深氏との婚儀調う。
[Y001251-000-000]

『日録』「十一月四日、自去七月、津岡藤左衛門以媒聘草深玄弘女、昨三日、藤左衛門迄本町入来、有返事、今日藤左衛門入来、母人対面、弥々許嫁スヘキノ旨也、草深氏者藤堂和泉守医臣也」(宣長全集:16-156)。本町は、宣長叔父で、隠居家の小津源四郎宅であろう。 [001-000]

JD2364586.5 宝暦11年11月6日 (1761/12/1)
11月6日 村田親次、上京する。
[Y001252-000-000]

『日録』「六日、与三兵衛上京、自春在此地」(宣長全集:16-156)。 [001-000]

JD2364589.5 宝暦11年11月9日 (1761/12/4)
11月9日 草深氏に納幣。
[Y001253-000-000]

『日録』「九日、晴天、納幣草深氏、(以下略)」(宣長全集:16-156)。 [001-000]

JD2364591.5 宝暦11年11月11日 (1761/12/6)
11月11日 嶺松院会。またこの頃、松坂近郊の名所を四季恋雑に分けて須賀直躬、小津正啓、稲懸棟隆、中津光多、宣長の5人で読む
[Y001254-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(15-262・263)。名所歌は『石上稿』の配列から推測した。宇治に行っているはずの須賀直躬が居ることの事情は不明。 [001-000]

JD2364599.5 宝暦11年11月19日 (1761/12/14)
11月19日 習俗に従い元寿尼の除服の火替を行う。
[Y001255-000-000]

11月23日条参照。 [001-000]

JD2364602.5 宝暦11年11月22日 (1761/12/17)
11月22日 大竈を改修する。
[Y001256-000-000]

『日録』「大竈改造【喜八作之】」(宣長全集:16-157)。 [001-000]

JD2364603.5 宝暦11年11月23日 (1761/12/18)
11月23日 元寿尼没からの服喪を解く。
[Y001257-000-000]

『日録』「予迄今日故元寿尼之服也、然而軽服者、不満日数而除之之由、随習俗而、去十九日除服之火替」(宣長全集:16-157)。 [001-000]

JD2364605.5 宝暦11年11月25日 (1761/12/20)
11月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。6月以来の謹慎解除の御触れ出る。
[Y001258-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。「会頭春庵」とある。同巻末に「十一月廿五日歌合」として勝ち数のみ記す。同巻末「新古歌合 勝」。『石上稿』(15-262・263)。 [001-000]

『日録』(宣長全集:16-156)。 [002-000]

JD2364606.5 宝暦11年11月26日 (1761/12/21)
11月26日 小津英昌、江戸に下向する。江戸大伝馬町一丁目の木綿店が閉店。このため本町宅も最近は戸を閉ざす。
[Y001259-000-000]

『日録』(宣長全集:16-157)。 [001-000]

JD2364610.5 宝暦11年11月 (1761/12/25)
11月 『自賛歌註』1冊、『兼好家集』1冊を購入する。
[Y001260-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「同十一月 一、自賛歌註 一 二匁、同 一、兼好家集 一 二匁五分」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2364613.5 宝暦11年12月3日 (1761/12/28)
12月3日 元寿尼百箇日。
[Y001261-000-000]

『日録』(宣長全集:16-157)。 [001-000]

JD2364615.5 宝暦11年12月5日 (1761/12/30)
12月5日 煤払い。
[Y001262-000-000]

『日録』(宣長全集:16-157)。 [001-000]

JD2364621.5 宝暦11年12月11日 (1762/1/5)
12月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001263-000-000]

『嶺松和歌集』巻10。同巻末に「十二月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-263)。 [001-000]

JD2364622.5 宝暦11年12月12日 (1762/1/6)
12月12日 夜、『源氏物語』講釈、年内終業。「若菜下巻」の中途まで読む。
[Y001264-000-000]

『日録』「十二日、夕源氏講談畢、至若菜下巻半」(宣長全集:16-157) [001-000]

JD2364626.5 宝暦11年12月16日 (1762/1/10)
12月16日 津から届いた草深多美の送手形、寺請状を、松坂町年寄荒木九兵衛に提出。
[Y001265-000-000]

『日録』(宣長全集:16-157) [001-000]


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