前へ / 次へ / indexへ


JD2364670.5 宝暦12年1月 (1762/2/23)
宝暦12年(1762)壬午 宣長33歳。母勝58歳、勝(たみ)22歳。
[Y001266-000-000]

【この年の概要】 [001-000]

1月、草深たみと結婚。4月、母、善光寺など参拝のため出立。途中、善光寺にて出家。 [001-001]

JD2364641.5 宝暦12年1月1日 (1762/1/25)
1月1日 両産土神社(御厨神社、八雲神社)、山神に初詣。町を年始回りする。巳の刻伊勢寺村で火災。
[Y001267-000-000]

『日記』(宣長全集:16-165)。本巻は『日記【自宝暦十二年正月 至同十三年十二月】壱』は、この日の記事で始まる。 [001-000]

JD2364642.5 宝暦12年1月2日 (1762/1/26)
1月2日 早朝、御役所年始、その後、屋敷町年始。読書始、『古今集』序。
[Y001268-000-000]

『日記』「読書始、古今集序、是自先年之例也」(宣長全集:16-165)。宝暦9年(1759)1月1日条参照。 [001-000]

JD2364643.5 宝暦12年1月3日 (1762/1/27)
1月3日 宮崎俊、里帰りする(大口礼)。婚礼準備のため、小津七右衛門を津の岡氏に遣わす。小津七右衛門は、明和6年(1769)9月14日没、同日条参照。
[Y001269-000-000]

『日記』(宣長全集:16-165)。 [001-000]

JD2364646.5 宝暦12年1月6日 (1762/1/30)
1月6日 岡儀右衛門入来、婚儀打ち合わせ。
[Y001270-000-000]

『日記』(宣長全集:16-165)。儀右衛門は、実は隠居家小津英昌の弟。宝暦10年(1760)7月6日条参照。 [001-000]

JD2364648.5 宝暦12年1月8日 (1762/2/1)
1月8日〜10日 畳替。表之間6畳、仏間2畳表替、下内1畳表替、1畳裏替、畳屋三工。(宣長全集:16-159)
[Y001271-000-000]

JD2364650.5 宝暦12年1月10日 (1762/2/3)
1月10日 夜、預かっていた俊の荷物を再び宮崎家に遣わす。
[Y001272-000-000]

『日記』「夜自大口取俊荷物来、不残遣之、是、中頃不縁之節返此方、其後有子細而猶所在此方也」(宣長全集:16-166)。俊の離縁については宝暦9年(1759)春条参照。草深氏からの荷物納めと関係在るか。 [001-000]

JD2364652.5 宝暦12年1月12日 (1762/2/5)
1月12日 午の刻前、草深氏より荷物納め。隠居家の叔父小津源四郎躬充が挨拶に出る。嶺松院会初会であるが欠席する。
[Y001273-000-000]

『日記』「十二日、自昨夜雪、今朝積一二寸、猶降、自辰剋変雨、終日不止 ○今日自津草深氏贈荷物来、午剋前到著、箪笥二、長持一也(以下略)」(宣長全集:16-166)。荷物はこの日と14日の2回に分けて届けられた。 [001-000]

『日記』「嶺松院和歌会始、予不参」(宣長全集:16-166)。以後、会の日が日記に継続して記載される。 [002-000]

『嶺松和歌集』第10冊。当座のみ出詠。 [003-000]

JD2364654.5 宝暦12年1月14日 (1762/2/7)
1月14日 巳の刻、草深氏より荷物納め。
[Y001274-000-000]

『日記』「十四日、晴天 ○自津贈荷物来、巳刻到著、長持二也、下男四人持来、一昨日今日両度来、是自草深氏之請也(以下略)」(宣長全集:16-166)。 [001-000]

JD2364655.5 宝暦12年1月15日 (1762/2/8)
1月15日 八雲神社宝殿上棟式。
[Y001275-000-000]

『日記』「十五日晴天 ○惣産土神牛頭天王宝殿拝殿、自去年造替、今日宝殿上棟」(宣長全集:16-166)。 [001-000]

JD2364656.5 宝暦12年1月16日 (1762/2/9)
1月16日 婚礼の祝儀として、本町年寄荒木九兵衛に酒3升、魚町年寄宮村善六に酒2升を届ける。妹俊、大口村より里帰りし、20日まで滞在する。
[Y001276-000-000]

『日記』(宣長全集:16-166)。1月20日条参照。善六は冬条参照。また宝暦13年(1763)1月2日条参照。 [001-000]

JD2364657.5 宝暦12年1月17日 (1762/2/10)
1月17日 晴天、無風、夜深くなり風がある。草深たみ(多美)と婚礼。草深氏よりの請いにより、たみの名を勝と改める。
[Y001277-000-000]

『日記』により一日を追ってみる。午の刻、新婦が本町小津源四郎宅に到着。岡藤左衛門同伴。藤左衛門息女で儀右衛門(1月6日来訪)の妻むく(無九)も同伴の予定であったが不快のため取りやめとなった。夜になり、おたか、岡藤左衛門、次に乗り物で新婦が到着した。昼に一行を船江(参宮街道、松坂入口)に迎えに行ったのは小津藤九郎と本町下男で、本町に迎えに行ったのは再び小津藤九郎と下女よし(与志)。座敷に入った新婦、岡氏、源四郎、おたかに先ず熨斗鮑、次に雑煮を出し、次にいよいよ盃事となる。先の4人に加え宣長と母で、酌人は下女しげ(志計)、茂八郎妻みわ(美和)。茂八郎は寛保2年(1742)7月14日条参照。本膳は鱠、坪平、炙物、吸い物2つ、取り肴2、3種、積み菓子。こちらの親戚として村田清兵衛、宮崎清九郎が出てくれる。この両名には夕飯を出す。おふさ、栄昌が祝いに来る。津からの供、下女2人(新婦付き添いと乳母)、下男3人、駕籠2人、岡氏供の8人にも同じ料理を出す(但し雑煮は省く)。新婦の土産は扇箱、鯛一掛、母へ八丈嶋1反、知遊へ浅黄帽子、村田親次、中条源四郎、村田清兵衛、宮崎清九郎に扇箱(3本入り)。本町小津源四郎は格別である。供の祝儀は各鳥目10匹ずつ。乳母へは銀札3匁。 [001-000]

『日記』「婚礼也、午剋、新婦到著本町源四郎殿宅(中略)新婦更名勝、是母人之名所譲給也、先日儀右衛門入来之節、自草深氏因被請所更也」(宣長全集:16-166)。 [002-000]

『本居氏系図』「宝暦十二年壬午正月十七日来嫁本家、改名勝【此名慧勝大姉之諱譲賜】」(宣長全集:20-124)。 [003-000]

JD2364658.5 宝暦12年1月18日 (1762/2/11)
1月18日 草深氏より蒸し物到着。
[Y001278-000-000]

『日記』(宣長全集:16-167)。 [001-000]

JD2364659.5 宝暦12年1月19日 (1762/2/12)
1月19日 婚礼三日の祝いで小津源四郎、栄昌等を招く。
[Y001279-000-000]

『日記』(宣長全集:16-167)。 [001-000]

JD2364660.5 宝暦12年1月20日 (1762/2/13)
1月20日 津の草深四郎兵衛、岩瀬主馬の使い、それぞれ饅頭、鯛などを届ける。また、村田七左衛門を、村田与三兵衛、村田清兵衛、中条源四郎家の名代として草深に祝いに遣わす。16日より里帰りしていた妹俊、大口に帰る。
[Y001280-000-000]

『日記』「俊帰大口、去十六日所来也」(宣長全集:16-167)。 [001-000]

JD2364660.5 宝暦12年1月20日 (1762/2/13)
1月下旬 宮崎清九郎、江戸に下向する。
[Y001281-000-000]

3月29日条参照。 [001-000]

JD2364661.5 宝暦12年1月21日 (1762/2/14)
1月21日 新婦の土産を利秀、栄昌、おしげ(於重)の三人の叔母に届ける。
[Y001282-000-000]

『日記』(宣長全集:16-167)。 [001-000]

JD2364664.5 宝暦12年1月24日 (1762/2/17)
1月24日 夕方、母と勝の初歩き。
[Y001283-000-000]

『日記』「今夕、勝初行(ハツアルキ)、母人同伴」(宣長全集:16-177)。 [001-000]

JD2364665.5 宝暦12年1月25日 (1762/2/18)
1月25日 嶺松院会。
[Y001284-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-264)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-167)。 [002-000]

この日の題詠に結婚の喜びを見る説(「和歌と『源氏物語』」高橋俊和『本居宣長の歌学』・和泉書院刊)がある。 [003-000]

JD2364666.5 宝暦12年1月26日 (1762/2/19)
1月26日 年始開講、『源氏物語』「若菜下巻」末より始める。
[Y001285-000-000]

『日記』「源氏物語開講【若菜下巻末】」(宣長全集:16-167)。 [001-000]

JD2364669.5 宝暦12年1月29日 (1762/2/22)
1月29日 勝と津に行き、岡氏、草深家に礼。勝は津に残り、宣長は夜亥の刻松坂に帰着。帰宅後、林三郎右衛門母卒去の事を聞く。享年67歳。法号、松誉貞薫信女。
[Y001286-000-000]

『日記』(宣長全集:16-168)。林三郎右衛門母は、宣長母の同母姉。『日記』に依れば、旧冬より病気であった。 [001-000]

JD2364673.5 宝暦12年2月3日 (1762/2/26)
2月3日 勝、実家より帰宅。土産ののし餅を配る。
[Y001287-000-000]

『日記』「三日、早朝雨止、属霽、後時々掻曇、未刻後一頻霰降或雨フル、○勝自里還、未刻帰著、自里宮笥乃志茂知比、納先日納蒸物所遣食篭一対、此茂知比配遣所々」(宣長全集:16-169)。 [001-000]

JD2364675.5 宝暦12年2月5日 (1762/2/28)
2月5日 中条源四郎父海翁栄安居士十三回忌。
[Y001288-000-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。 [001-000]

JD2364676.5 宝暦12年2月6日 (1762/3/1)
2月6日 初午。この日から新河合町(新川井町)東側で人形芝居始まる。
[Y001289-000-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。人形芝居は27日まで。宝暦13年(1763)10月条参照。 [001-000]

JD2364678.5 宝暦12年2月8日 (1762/3/3)
2月8日 長井与八郎母死去。勝の下女元(モト)、津に帰る。
[Y001290-000-000]

長井与八郎母は、三井氏の女。小津次郎左衛門の実母。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。 [002-000]

JD2364679.5 宝暦12年2月9日 (1762/3/4)
2月9日 母、おふさ、おとはと伊勢の林氏を弔問。日帰り。
[Y001291-000-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。 [001-000]

JD2364680.5 宝暦12年2月10日 (1762/3/5)
2月10日 長井葬儀。大口村川口忠兵衛老母死去。
[Y001292-000-000]

川口忠兵衛は、俊の嫁ぎ先である宮崎氏の親戚。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。 [002-000]

JD2364681.5 宝暦12年2月11日 (1762/3/6)
2月11日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001293-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末に「二月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-264)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。 [002-000]

JD2364682.5 宝暦12年2月12日 (1762/3/7)
2月12日 川口葬儀。宣長、また母も不快のため参列せず、葬儀後、宣長弔問。
[Y001294-000-000]

『日記』(宣長全集:16-169)。 [001-000]

JD2364686.5 宝暦12年2月16日 (1762/3/11)
2月16日 江戸で大火。
[Y001295-000-000]

2月22日条参照。 [001-000]

JD2364688.5 宝暦12年2月18日 (1762/3/13)
2月18日 辰刻、弱い地震。草深玄周から来簡。元弘に加増あり、150石御匙医となる。この夜、法樹院出奔。
[Y001296-000-000]

『日記』(宣長全集:16-170)。 [001-000]

JD2364689.5 宝暦12年2月19日 (1762/3/14)
2月19日 海会寺開堂法事あり。『源氏物語』講釈、「若菜下巻」終わる。
[Y001297-000-000]

『日記』(宣長全集:16-170)。 [001-000]

2月22日条参照。 [002-000]

JD2364690.5 宝暦12年2月20日 (1762/3/15)
2月20日 海会寺放生会あり。
[Y001298-000-000]

『日記』(宣長全集:16-170)。 [001-000]

JD2364692.5 宝暦12年2月22日 (1762/3/17)
2月22日 夜、『源氏物語』講釈、「柏木巻」より。河合町の芝居茶屋で日野町柏屋の下男が暴れる。また、江戸で去る15日、16日火事あり、三十軒堀、増上寺塔頭等多数焼失と聞く。またこの頃、宇治御祓町で火事のため、御厩焼失の噂を聞く。
[Y001299-000-000]

『日記』「今夜源氏講談、柏木巻始、去十九日、若菜下畢」(宣長全集:16-170)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-170)。日野町柏屋が、書肆柏屋と同じなら、宣長の記録上の初出。嶺松院会へ山口昭方の出詠は宝暦9年(1759)閏7月11日。 [002-000]

JD2364695.5 宝暦12年2月25日 (1762/3/20)
2月25日 嶺松院会。新古歌合を行う。
[Y001300-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末に「二月廿五日」として勝ち数のみ記す。『日記』「嶺松院会」(宣長全集:16-170)。 [001-000]

JD2364696.5 宝暦12年2月26日 (1762/3/21)
2月26日 除服の火替をする。
[Y001301-000-000]

『日記』「予除服之火替、日来軽服也」(宣長全集:16-170)。 [001-000]

JD2364698.5 宝暦12年2月28日 (1762/3/23)
2月28日 表庇仕替、大工佐右衛門
[Y001302-000-000]

(宣長全集:16-159) [001-000]

JD2364699.5 宝暦12年2月29日 (1762/3/24)
2月29日 江戸、京都の大火の噂を聞く。
[Y001303-000-000]

『日記』(宣長全集:16-171)。 [001-000]

JD2364700.5 宝暦12年2月 (1762/3/25)
2月 『冠辞考』を購入する。
[Y001304-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「午二月 一、冠辞考 十 卅六匁五分」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2364700.5 宝暦12年2月 (1762/3/25)
2月 余寒甚だし。下旬、梅花盛りとなる。
[Y001305-000-000]

『日記』(宣長全集:16-171)。 [001-000]

JD2364700.5 宝暦12年2月 (1762/3/25)
2月 『石上集』巻1編。寛文1~同11の詠より243首。
[Y001306-000-000]

「宝暦十二年壬午仲春 舜庵宣長原稿」(宣長全集:18-83)。 [001-000]

「石上」の初使用例か。 [002-000]

JD2364700.5 宝暦12年2月 (1762/3/25)
この頃 『歌仙家集』購入か。
[Y001307-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』で『冠辞考』購入記事の次に「一、歌仙家集 十五 三拾匁」(宣長全集:20-398)とある。 [001-000]

JD2364704.5 宝暦12年3月4日 (1762/3/29)
3月4日 勝、津に行く。父玄弘、近く藩主の供で江戸下向の為。祝いと土産を兼ねて鯛を持参する。
[Y001308-000-000]

『日記』(宣長全集:16-171)。帰宅は3月16日。 [001-000]

JD2364709.5 宝暦12年3月9日 (1762/4/3)
3月9日 山田孟明、参宮の為来訪、一宿する。この時、『冠辞考』を見せるか。
[Y001309-000-000]

『日記』(宣長全集:16-172)。山田周蔵宛書簡に、「近来いつそや御下向之節、入御覧候冠辞考と申書之作者」(宣長全集:17-46書簡番号25)とある。見せたのはこの時か、帰路の4月3日であろう。 [001-000]

JD2364710.5 宝暦12年3月10日 (1762/4/4)
3月10日 巳刻、山田孟明発足する。
[Y001310-000-000]

『日記』(宣長全集:16-172) [001-000]

JD2364710.5 宝暦12年3月10日 (1762/4/4)
3月中旬 横滝念仏堂回向(11日より17日まで)、阿坂浄眼寺堂入仏供養、国束寺開帳、野登鶏足山観音開帳などがあった。
[Y001311-000-000]

『日記』(宣長全集:16-173)。 [001-000]

JD2364711.5 宝暦12年3月11日 (1762/4/5)
3月11日 嶺松院会。
[Y001312-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-264)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-172)。 [002-000]

JD2364716.5 宝暦12年3月16日 (1762/4/10)
3月16日 勝津から帰宅。玄弘妻おその(於曽乃)同伴。初入来。饗応する。献立と帰りの土産を『日記』に記す。
[Y001313-000-000]

『日記』(宣長全集:16-172)。 [001-000]

JD2364718.5 宝暦12年3月18日 (1762/4/12)
3月18日 判行する。
[Y001314-000-000]

『日記』「判行如例、【昼過】後、勝於荒木九兵衛宅判行」(宣長全集:16-172)。宝暦14年(1764)3月18日条参照。 [001-000]

JD2364720.5 宝暦12年3月20日 (1762/4/14)
3月20日 桃の花盛り。
[Y001315-000-000]

JD2364720.5 宝暦12年3月20日 (1762/4/14)
3月下旬 桜花盛り。
[Y001316-000-000]

『日記』(宣長全集:16-173)。 [001-000]

JD2364720.5 宝暦12年3月20日 (1762/4/14)
3月下旬 抜け荷の疑いで、大坂より役人が来て、松坂の三井市兵衛、平田利兵衛が詮議を受ける。
[Y001317-000-000]

『日記』(宣長全集:16-173) [001-000]

『日記』(宣長全集:16-173)。 [002-000]

JD2364722.5 宝暦12年3月22日 (1762/4/16)
3月22日 真台寺入仏供養始まる(26日まで)。父定利二十三回忌法事。小豆餅配る。
[Y001318-000-000]

『日記』(宣長全集:16-172) [001-000]

JD2364723.5 宝暦12年3月23日 (1762/4/17)
3月23日 一挺切念仏。母、知遊諷誦。勝、次念仏。俊小施餓鬼修行。
[Y001319-000-000]

『日記』(宣長全集:16-173)。 [001-000]

JD2364724.5 宝暦12年3月24日 (1762/4/18)
3月24日 取越法事。
[Y001320-000-000]

『日記』(宣長全集:16-173)。 [001-000]

JD2364725.5 宝暦12年3月25日 (1762/4/19)
3月25日 嶺松院会。
[Y001321-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。当座のみ出詠。『石上稿』(宣長全集:15-264)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-173)。 [002-000]

JD2364729.5 宝暦12年3月29日 (1762/4/23)
3月29日 宮崎清九郎、江戸より帰る。
[Y001322-000-000]

『日記』「晴天○宮崎清九郎自江戸帰、去正月下旬所下也」(宣長全集:16-173)。下向は1月下旬。 [001-000]

JD2364729.5 宝暦12年3月 (1762/4/23)
3月 浅原義方死去か。享年52歳。
[Y001323-000-000]

『石上稿』に「浅原義方追善、雨中無情」の題で歌が載る(宣長全集:15-265)。享年は同10年五十賀より算出した。 [001-000]

JD2364732.5 宝暦12年4月3日 (1762/4/26)
4月3日 山田孟明、参宮の帰途来訪、一宿する。
[Y001324-000-000]

4月4日条参照。 [001-000]

JD2364733.5 宝暦12年4月4日 (1762/4/27)
4月4日 山田孟明、出立。村田清兵衛先妻二十三回忌を朝告げられるが、客があったので辞し、母が非時に行く。
[Y001325-000-000]

『日記』「晴天○山田周蔵自山田還、昨夜一宿、今日回趣京、○今年六月村田清兵衛殿先妻【家之娘】廿三回忌、今月取越被修、今朝請斎、因有客辞焉、母人非時仁行給」(宣長全集:16-173)。清兵衛は宝暦2年(1752)3月13日条参照。 [001-000]

JD2364739.5 宝暦12年4月10日 (1762/5/3)
4月10日 嶺松院会。
[Y001326-000-000]

日の変更は院の都合。『日記』「晴天○嶺松院会也、因明日予有指合為今日」(宣長全集:16-174)。 [001-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-265)。 [002-000]

JD2364746.5 宝暦12年4月17日 (1762/5/10)
4月17日 母、善光寺参詣、親類縁者等11人と発足する。
[Y001327-000-000]

一行は、閏4月上旬善光寺参詣、開帳。その後秩父巡礼し皆開帳する。同月21日、江戸着。5月22日、江戸出立。6月4日、全員無恙帰着した。また母、善光寺にて剃髪する。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-174)。 [002-000]

JD2364754.5 宝暦12年4月25日 (1762/5/18)
4月25日 嶺松院会。
[Y001328-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。『石上稿』(宣長全集:15-265)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-175)。 [002-000]

JD2364755.5 宝暦12年4月26日 (1762/5/19)
4月26日 夜、『源氏物語』講釈、「柏木巻」終わる。
[Y001329-000-000]

『日記』「源氏物語講談、柏木巻畢」(宣長全集:16-175)。 [001-000]

JD2364764.5 宝暦12年閏4月5日 (1762/5/28)
閏4月5日 草深東仙、参宮一宿。
[Y001330-000-000]

『日記』(宣長全集:16-176)。東仙は妻勝の弟。「津草深氏略系」「慎、山田東仙、因父本姓為山田氏、安永五年丙申七月廿四日死、号(空白)」(宣長全集:20-152)。享年31歳。戒名は芳香院月窓芸亭居士。 [001-000]

JD2364770.5 宝暦12年閏4月11日 (1762/6/3)
閏4月11日 嶺松院会。 新古歌合。
[Y001331-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同巻末に「閏四月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-265)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-176)。 [002-000]

JD2364774.5 宝暦12年閏4月15日 (1762/6/7)
閏4月15日 勝、津に行く。近く兄元弘が江戸に下向するので餞別として煙草1斤を持たせる。
[Y001332-000-000]

『日記』(宣長全集:16-176)。帰宅は16日。玄弘については{宝暦3年}2月14日条参照。 [001-000]

JD2364775.5 宝暦12年閏4月16日 (1762/6/8)
閏4月16日 『新撰姓氏録目録』を作る。勝、津から帰る。
[Y001333-000-000]

奥書「宝暦十二年壬午後四月十六日、清舜庵宣長」。墨付11丁。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-176)。 [002-000]

JD2364783.5 宝暦12年閏4月24日 (1762/6/16)
閏4月24日 夕、『万葉集』講釈、巻2終わる。
[Y001334-000-000]

『日記』「今夕万葉集講談、第二巻終」(宣長全集:16-177)。 [001-000]

JD2364784.5 宝暦12年閏4月25日 (1762/6/17)
閏4月25日 嶺松院会。
[Y001335-000-000]

『嶺松和歌集』第10冊。同集はこの日の記事で終わる。『石上稿』(宣長全集:15-265)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-177)。 [002-000]

JD2364785.5 宝暦12年閏4月26日 (1762/6/18)
閏4月26日 『源氏物語』講釈、「横笛巻」終わる。
[Y001336-000-000]

『日記』「今夜源氏物語講、横笛巻終」(宣長全集:16-177)。 [001-000]

JD2364795.5 宝暦12年5月7日 (1762/6/28)
5月7日 八雲神社で遷宮が行われる。
[Y001337-000-000]

『日記』「七日晴天 ○総産土神牛頭天王宝殿及拝殿造替成就、今日酉刻遷社」(宣長全集:16-178)。 [001-000]

JD2364796.5 宝暦12年5月8日 (1762/6/29)
5月8日 八雲神社で、この日より十日まで、遷宮に伴い神楽が奉納される。
[Y001338-000-000]

『日記』「十日晴曇天 ○自八日至今日、総産土神社有神楽」(宣長全集:16-178)。 [001-000]

JD2364796.5 宝暦12年5月8日 (1762/6/29)
この頃 八雲神社に「牛頭天王宝前和歌百首」を奉納する。施主は本居宣長、中津光多、小津正啓、稲懸棟隆、須賀直見の5名。同じ頃、中津光多単独で「奉納和歌百首」を奉納した。
[Y001339-000-000]

奉納歌箱書「宝暦十二年歳次壬午仲夏吉辰」。同じ頃、中津光多単独で「奉納和歌百首」を奉納した。「稲掛棟隆年譜考-本居宣長の門人伝-」(中村一基著・『中央大学國文』23号)、「資料紹介 八雲神社所蔵 牛頭天王宝前和歌百首・奉納和歌百首」(鈴木香織・吉田悦之著・『鈴屋学会報』11号)参照。 [001-000]

JD2364799.5 宝暦12年5月11日 (1762/7/2)
5月11日 嶺松院会。
[Y001340-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。同集はこの日の記事から始まる。但し、表紙には「宝暦十一年壬午後四月」とあり。第10冊巻末に「五月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-265)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-178)。 [002-000]

JD2364808.5 宝暦12年5月20日 (1762/7/11)
5月20日 小津源四郎剃髪して、道有と名乗る。
[Y001341-000-000]

『日記』「源四郎殿剃髪、法名道有」(宣長全集:16-178)。源四郎は宣長父の実弟。16歳の時、宣長はその江戸店で一年を過ごした。 [001-000]

JD2364810.5 宝暦12年5月22日 (1762/7/13)
5月22日 『源氏物語』講釈、「鈴虫巻」終わる。
[Y001342-000-000]

『日記』(宣長全集:16-178)。 [001-000]

JD2364814.5 宝暦12年5月26日 (1762/7/17)
5月26日 嶺松院会。新古歌合。
[Y001343-000-000]

日の変更は院の都合。『日記』(宣長全集:16-179)。 [001-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「五月廿五日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-265)。 [002-000]

JD2364821.5 宝暦12年6月4日 (1762/7/24)
6月4日 申刻半、母等帰る。
[Y001344-000-000]

4月17日条参照。 [001-000]

JD2364828.5 宝暦12年6月11日 (1762/7/31)
6月11日 嶺松院会。新人二人、河北孝節時明、山口藤介昭方。新古歌合。
[Y001345-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「六月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-266)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-180)。 [002-000]

JD2364842.5 宝暦12年6月25日 (1762/8/14)
6月25日 嶺松院会。
[Y001346-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「六月廿五日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-181)。 [002-000]

JD2364843.5 宝暦12年6月26日 (1762/8/15)
6月26日 大雨天、風有り。母、剃髪祝い、蒸し物配る。
[Y001347-000-000]

『日記』「母人剃髪之祝、蒸物所々配」(宣長全集:16-181)。 [001-000]

JD2364848.5 宝暦12年7月1日 (1762/8/20)
7月1日 知遊(妹はん)、瓦町裏の庵室に移る。
[Y001348-000-000]

『日記』「知遊移瓦町裏庵室【此庵、来迎寺所持而、所借受也】」(宣長全集:16-181)。 [001-000]

JD2364853.5 宝暦12年7月6日 (1762/8/25)
7月6日 嶺松院会。新古歌合。
[Y001349-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「七月六日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

JD2364859.5 宝暦12年7月12日 (1762/8/31)
7月12日 桃園天皇崩御。
[Y001350-000-000]

『日記』7月26日条「去十二日未刻、今上天皇崩御之由」(宣長全集:16-182)。 [001-000]

JD2364872.5 宝暦12年7月25日 (1762/9/13)
7月25日 嶺松院会。新古歌合。
[Y001351-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「七月廿五日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-182)。 [002-000]

JD2364873.5 宝暦12年7月26日 (1762/9/14)
7月26日 天皇崩御による謹慎の通達が出る。また、崩御の事がしばらく秘されたとか、その死因や皇嗣の噂を聞く。
[Y001352-000-000]

『日記』(宣長全集:16-182)。 [001-000]

JD2364876.5 宝暦12年7月29日 (1762/9/17)
7月29日 巳の刻半、伯母利秀尼没。享年71歳。法号、明誉利秀法尼。
[Y001353-000-000]

『日記』「巳刻半過、利秀尼公卒去、享年七十一歳也、自五月頃不快、近頃如老病、日来不食、次第所衰給也、号明誉利秀法尼」(宣長全集:16-183)。利秀は、俗名千代。父の実姉、小津次郎左衛門重信妻。『本居氏系図』(宣長全集:20-90)参照。 [001-000]

JD2364877.5 宝暦12年8月1日 (1762/9/18)
8月1日 謹慎解かれる。
[Y001354-000-000]

『日記』(宣長全集:16-183)。 [001-000]

JD2364878.5 宝暦12年8月2日 (1762/9/19)
8月2日 申の刻、来迎寺の利秀尼の葬儀に参列、花瓶を持つ。
[Y001355-000-000]

『日記』「申刻過、利秀尼公土葬来迎寺、予持花瓶」(宣長全集:16-183)。 [001-000]

JD2364879.5 宝暦12年8月3日 (1762/9/20)
8月3日 彼岸の入り。
[Y001356-000-000]

『日記』(宣長全集:16-183)。 [001-000]

JD2364882.5 宝暦12年8月6日 (1762/9/23)
8月6日 8月4日の代わりに『万葉集』講釈。
[Y001357-000-000]

『日記』「今夕万葉会講、因利秀尼公卒去此間所相休也」(宣長全集:16-183)。 [001-000]

JD2364884.5 宝暦12年8月8日 (1762/9/25)
8月8日 雨。夜大雨、増水する。勝、津に行く。
[Y001358-000-000]

『日記』(宣長全集:16-184)。24日帰宅。 [001-000]

JD2364887.5 宝暦12年8月11日 (1762/9/28)
8月11日 嶺松院会。
[Y001359-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-184)。 [002-000]

JD2364895.5 宝暦12年8月19日 (1762/10/6)
8月19日 利秀尼三七日の非時あり。
[Y001360-000-000]

『日記』「曇、時々小雨、○利秀公明日三七日、今日有非時」(宣長全集:16-184)。 [001-000]

JD2364898.5 宝暦12年8月22日 (1762/10/9)
8月22日 京都で御葬送があったと言う噂を聞く。元寿法尼一周忌。
[Y001361-000-000]

『日記』「晴天、時々陰○京都今日有御送葬之由也、○故元寿尼公一周忌也、有斎」(宣長全集:16-184)。 [001-000]

JD2364900.5 宝暦12年8月24日 (1762/10/11)
8月24日 勝、津から帰る。
[Y001362-000-000]

『日記』(宣長全集:16-184)。出立は8日。 [001-000]

JD2364901.5 宝暦12年8月25日 (1762/10/12)
8月25日 嶺松院会。新古歌合。勝、懐妊5ヶ月、着帯。津より祝い届く。栄昌、おかね(於金)らを夕飯に招く。
[Y001363-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「八月廿五日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-184)。 [002-000]

JD2364905.5 宝暦12年8月 (1762/10/16)
8月 『堀川院艶書合』3冊を購求する。
[Y001364-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「八月 一、堀川院艶書合 三 一匁九分」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2364905.5 宝暦12年8月 (1762/10/16)
8月 『日本後紀』写す。或いは校合か。
[Y001365-000-000]

奥書「宝暦十二年壬午八月舜庵本居宣長」享和1年(1801)9月10日校了、堀口光伸(花押)。 [001-000]

JD2364915.5 宝暦12年9月10日 (1762/10/26)
9月10日 宮崎清九郎、江戸に下向する。
[Y001366-000-000]

『日記』(宣長全集:16-186)。 [001-000]

JD2364916.5 宝暦12年9月11日 (1762/10/27)
9月11日 嶺松院会。
[Y001367-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-186)。 [002-000]

JD2364920.5 宝暦12年9月15日 (1762/10/31)
9月15日 雨。母、参宮。
[Y001368-000-000]

『日記』(宣長全集:16-186)。帰宅は17日。 [001-000]

JD2364922.5 宝暦12年9月17日 (1762/11/2)
9月17日 母、参宮より帰宅する。
[Y001369-000-000]

『日記』(宣長全集:16-186)。出立は15日。 [001-000]

JD2364930.5 宝暦12年9月25日 (1762/11/10)
9月25日 嶺松院会。新古歌合。
[Y001370-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「九月廿五日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-267)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-186)。 [002-000]

JD2364935.5 宝暦12年9月 (1762/11/15)
9月 『袖中抄』10冊、『能因歌枕』1冊を購求する。
[Y001371-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「九月 一、袖中抄 十 十二匁 同 一、能因歌枕 一 一匁」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2364946.5 宝暦12年10月11日 (1762/11/26)
10月11日 嶺松院会。新古歌合。
[Y001372-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「十月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-268)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-188)。 [002-000]

JD2364953.5 宝暦12年10月18日 (1762/12/3)
10月18日 新河井町で人形芝居始まる。
[Y001373-000-000]

『日記』(宣長全集:16-188)。宝暦13年(1763)10月上旬条参照。 [001-000]

JD2364957.5 宝暦12年10月22日 (1762/12/7)
10月22日 『源氏物語』講釈、「夕霧巻」終わる。
[Y001374-000-000]

『日記』(宣長全集:16-188)。 [001-000]

JD2364960.5 宝暦12年10月25日 (1762/12/10)
10月25日 嶺松院会。
[Y001375-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。『石上稿』(宣長全集:15-268)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-188)。 [002-000]

JD2364964.5 宝暦12年10月 (1762/12/14)
10月 『千五百番歌合』10冊を購求する。
[Y001376-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「十月 一、千五百番歌合 十 十五匁五分」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2364964.5 宝暦12年10月 (1762/12/14)
冬 宮村善六、6、7000両の借金を作り町中騒然となる。善六家を出て隠れる。
[Y001377-000-000]

『日記』(宣長全集:16-192)。善六は1月16日条参照。『宝暦咄し』に拠れば借金の原因は米の先売りにあった(『松阪市史』・9-175)。 [001-000]

JD2364975.5 宝暦12年11月11日 (1762/12/25)
11月11日 嶺松院会。
[Y001378-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。『石上稿』(宣長全集:15-268)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-189)。 [002-000]

JD2364983.5 宝暦12年11月19日 (1763/1/2)
11月19日 夕、『源氏物語』講釈、「御法巻」終わる。
[Y001379-000-000]

『日記』(宣長全集:16-190)。 [001-000]

JD2364987.5 宝暦12年11月23日 (1763/1/6)
11月23日 勝、出産のため里帰り。小津藤九郎が付き添う。夕、村田親次が京都より帰着。親次は今度、京都柳馬場三条北の木地屋伊兵衛店を辞しての帰郷である。
[Y001380-000-000]

『日記』(宣長全集:16-190)。 [001-000]

JD2364989.5 宝暦12年11月25日 (1763/1/8)
11月25日 嶺松院会。新古歌合。
[Y001381-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「十一月廿五日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-269)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-190)。 [002-000]

JD2364998.5 宝暦12年12月4日 (1763/1/17)
12月4日 『万葉集』講釈する。年内終業。
[Y001382-000-000]

『日記』「今夕万葉会講、年内之終也」(宣長全集:16-191)。 [001-000]

JD2365004.5 宝暦12年12月10日 (1763/1/23)
12月10日 親次、与三兵衛を与兵衛と改め、清兵衛の子分となる。
[Y001383-000-000]

『日記』(宣長全集:16-191)。 [001-000]

JD2365005.5 宝暦12年12月11日 (1763/1/24)
12月11日 嶺松院会。新古歌合。年内終業。
[Y001384-000-000]

『嶺松和歌集』第11冊。第10冊巻末に「十二月十一日」として勝ち数のみ記す。『石上稿』(宣長全集:15-269)。 [001-000]

『日記』(宣長全集:16-191)。 [002-000]

JD2365024.5 宝暦12年12月 (1763/2/12)
12月 『愚問賢注六窓抄』5冊、『玄旨聞書』5冊、『堀川百首肝要抄』5冊、『一字御抄』2冊、『歌林良材抄』2冊を購求する。
[Y001385-000-000]

『宝暦二年以後購求謄写書籍』「十二月 一、愚問賢注六窓抄 五 五匁、同 一、玄旨聞書 五冊 三匁五分、同 一、堀川百首肝要抄 五 四匁、同 一、一字御抄 二 四匁、同 一、歌林良材 二 一匁二分」(宣長全集:20-398)。 [001-000]

JD2365024.5 宝暦12年 (1763/2/12)
宝暦12年 『石上稿』139首。
[Y001386-000-000]


前へ / 次へ / indexへ