宣長の歌について、類型的であるという批判がある。この「めづらしきこまもろこしの花よりもあかぬいろ香は桜なりけり」にも類歌がある。例えば近世松坂の歌人で、堂上にもその名が聞こえたという浜口宗有の
唐の人に見せばや大和なるよしのゝ山の花の盛を
また、師である賀茂真淵にも
もろこしの人にみせばやみよしのゝよし野の山の山さくら花
と言う歌がある。さらに宣長自身の宝暦10年の詠にも類似の歌がある。題は「山花」
もろこしの人に見せはやひの本の花のさかりのみよしのの山
並べてみると、みな発想として類似する。だが、「めづらしき」の歌には、他国への対立意識が控えられ、詠嘆がより率直な感じで出ている点で他の3首と異なる。さらに歌の後に「鏡に見えぬ心の影をもうつせるうたぞ」と、画像には描けなかった自分の心を詠んだ歌であることを言う。生けられた瓶の桜に、散る桜への哀惜がこの肖像画の一つのテーマであるとするなら、この歌は観念に堕することなく、類型的な表現の中にも宣長の真情が込められている作であると評価することができよう。
>>「桜」