midashi_v.gif 四書五経を学ぶ

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 「四書」は、『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』。「五経」は、『易経』(『周易』)、『書経』(『尚書』)、『詩経』、『礼』(『儀礼』、後に『礼記』)、『春秋』。併せて「四書五経」と言う。これが儒学の根本教典。経とは縦糸。緯度・経度の経だ。中国の歴史の縦糸である。それの注が「伝」だ。『古事記伝』の「伝」もこの意味が込められているのだろう。

 宣長が12歳の時から、まず最初に習ったのは『大学』、『中庸』、『論語』、『小学』、『孟子』など。師は岸江之仲先生。今挙げた『小学』以外の4冊を「四書」という。儒学の基本書、入門書だ。因みに、今の大学生が文学部にはいると、漢文で習うのが『大学』や『論語』のさわりだ。多くは「朱子」と言う人がつけた注釈本で読む。私も朱子の注で苦しめられた苦い経験がある。但し、宣長は素読で棒読み丸暗記だったと思われる。

 伊勢の今井田家養子時代、やっと「五経」の一部を習った。寛保2年(1749)10月2日より、正住院主につき、『易経』、『詩経』、『書経』、『礼記』の、やはり素読を習っている。『日記』には、「同年十月二日ヨリ素読、師正住院住主」。『(今井田)日記』には、「十月二日、素読学聖衆〔正住〕院、易経ヨム、詩経ヨム、書経ヨム」。さらにもう一つの『日記(万覚)』には、「正住院素読ノ覚、易経、詩経、書経、礼記以上」とある。正住院は伊勢市岡本町にあった禅宗の寺院(『宇治山田市史』下−995)だと言うこと以外は不明。『春秋』は習っていない。

 また、景山塾に寄宿した2日目、宝暦2年3月21日からは『易経』の素読に参加している。『在京日記』に「同廿一日、始素読易経」とある。景山塾では、春以後「五経」素読が行われていた。宣長は途中参加であろう。以後、『詩経』『書経』『礼記』と読み継がれた。同年11月26日夜、景山塾では『晋書』会が始まった。宣長は一人で『左伝』素読を始めたらしい。あるいは先輩か、先生の息子・蘭沢あたりが教えたのだろうか。それとも先生直々か。と言うのも、既に塾のカリキュラムでは「左伝」は宣長入塾以前に終わっていたのである。『在京日記』には、「廿六日、夜晋書会」、「廿六日、左伝素読始、先是書経読畢、自今春至今月、乃五経素読既終」とある。いずれにしても、宣長にとってこの『春秋』は、『春秋左氏伝』と言う注釈書を介してだが、重要な意味を持つことになる。

>> 「堀景山」
>> 『春秋左氏伝』
>> 「孔子」



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