長谷街道の往還に宣長が利用したと言われているのが榛原の油屋である。伊勢本街道と長谷街道の分岐点にあるこの旅籠は今も往時の姿を留めている。大平の『餌袋日記』には、帰路の時のことだが、宿屋のざわめきが細かく書かれている。 たくさんの宿泊者がいて、茶を運ぶ女に、手をたたいてお茶を所望しても「アイー」と返事している。そのうちたすき掛けの女がもってきてくれるので、軽口をたたくと、向こうも負けてはいない、笑いながら言い返す。さすがに慣れたものだ。それにしても、大和の国の言葉は伊勢国に比べると雅やかだなあ、と感心する大平であった。 「この宿れる家は、ことにあまたの旅人を宿す家にて、そのあるじすとて、かなたこなたと若き女どもの物など持てありくもらうがはし、茶などのまむとて、手うちならせば、はるかにこゑうちあはせて、あいとしりながにいらふるもをかしう、やがてたすきうちやりて持ていでたるに、猿楽ことなどいへば、うちわらひつつ、まけじといひしらふず、かかるわざにのみなれたるなるべし、大かた大和の国はあやしき菜摘むしづの女、薪こる山がつといへど、物いひぞいとみやびたりける、わがいせの国などくらべ思へばいときたなし、さりとてはたなまなまにまねびいはんは中々なり」。