midashi_v.gif 『文通諸子居住処并転達所姓名所書』

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 2冊残る。1冊は、横井千秋書簡の紙背を利用。起筆年代不明。2冊目は、「寛政十一年未五月廿二日」と起筆の日が表紙にある。これは宣長のアドレス帳だが、ただのアドレス帳ではない。例えば「越後国高田下紺屋町、倉石笹屋宗右衛門」ここまでなら普通のアドレス帳だが、その後がある。「右ヘ状出し所、京東洞院御池下ル町、金津屋安兵衛」、これが転達所だ。越後に直接書簡を送ることは、郵政局や宅急便のない時代、難しい。そこで、確実に便があるところにまず送り、そこから転送(転達)してもらうのだ。

 この人の名前もある。
「肥後国帆足下総、杉谷三河へ書状出し所、京三条小橋、西国屋吉兵衛、大坂中ノ嶋越中橋肥後蔵屋敷留守居、萱野尚太郎(三百石)」
「江戸南八丁堀五丁メ家主相模屋文次地面ノ内、北八丁堀地蔵橋ノ際○村田平四郎、春海」これは最初、「江戸南八町堀五丁目家主相模屋文次地面ノ内、村田平四郎、春海」とあったが、これでは不充分と書き改めたのだろう。
 
 また、
「京富小路四条上ル町備前屋太介(備前岡山飛脚宿也)、備中宮内(ちん備中迄此方払)○藤井(小膳)長門守へ」
と料金の分担を書いた条もある。どのように料金を知ったのかは不明だが、きっと最初にいくらかかるという連絡が来ているのだろう。


>> 「書簡」
>> 「帆足長秋」
>> 「村田春海」



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