太宰春台(ダザイ・シュンダイ)

 延宝8年(1680)9月14日〜延享4年(1747)5月30日。荻生徂徠門下の儒学者。信州飯田藩士の家に生まれたが、後に、但馬出石藩に出仕。その後、他の藩にも仕えるが最後は浪人する。屋号を「紫芝園」と言い、著作に『紫芝園稿』や『弁道書』などがある。その性格は正直に過ぎ、狷介な所もあった。
 春台は儒学中心で、日本固有の思想を認めなかった。『弁道書』で、「神道は本、聖人の道の中に有之候・・神道は実に聖人の道の中にこもり居候、聖人の道の外に別に神道とて一の道あるにては無く候」と発言し、神道家から激しい批判を受けた。

 真淵の先生、渡辺蒙庵は春台の弟子だが、真淵は宣長宛書簡で「近頃見しニ、先年太宰純が弁道書といふ物を一冊出せしを、鳥羽義著といふ人悪みて破却し、から国の聖人と称せる人を證を挙て皆罵下せし弁弁道書といふ一冊有之、皇朝之大意ハよく得たる人と見ゆ」(明和6年正月27日付)と批判的だ。

 だが、宣長は『弁道書』、と言うか太宰に理解を示す。太宰のような態度こそが儒学者であるというのだ。儒者でありながら、また神道家でありながら、また仏家でありながら他の学問や宗教に理解を示すと言う態度に比べれば、「余が心には真の儒者と思はるゝなり」。だいたい神道家は儒学をうらやんで神道説を整えてきたではないか、と宣長は批判する。もちろん、太宰は真の儒者であるが、儒学そのものが無ければ世の中が治まらないと言うのは誤りであると太宰を批判することも忘れない(『講後談』)。
 また宣長は、『独語』から和歌と漢詩を対比しその盛衰を論じ、歌を詠む心構えにふれた条や(『本居宣長随筆』)、『紫芝園稿』から「八橋詩」や「朱子詩伝膏肓後序」を孫引き(『和歌の浦』巻5)したりしている。


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