『延喜式』(エンギシキ)とは、「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典。延喜5年(905)、藤原時平ほか11名の委員によって編纂を開始したから「延喜の式」だ。この延喜5年という年は、勅撰集第1番目の『古今和歌集』の編纂が開始された(一説に、出来た)年でもある。
さて、式は延長5年(927)、藤原忠平ほか4名が奏進する。その後も修訂が加えられ、40年後の康保4年(967)に施行された。全50巻。条数は約3300条で,神祇官関係の式(巻1〜10)、太政官八省関係の式(巻11〜40)、その他の官司関係の式(巻41〜49)、雑式(巻50)と、律令官制に従って配列されている。神祇官関係の分量が多いことについて宣長は次のように言う。
「延喜の式、すべて五十巻にして、はじめ十巻は神祇式也、されば、朝廷天の下もろもろの公事(オホヤケゴト)のうち、五分(イツツ)が一つは神事にて有し、これを以ても、古ヘ神事(カムワザ)のまつりごとの、重くしげく、盛(サカリ)なりしほどを、思ひはかるべし、もろこしの国などは、神を祭ること、いとおろそかにして、周の代よりこなたは、いよいよなほざりに思ふめり、然るを此神の御国の人、さるたいたいしき戎国(カラクニ)ぶりにおもひならひて、よろしからめや」『玉勝間』巻6「延喜式五十巻にして十巻は神祇式なる事」
三代格式のうち、ほぼ完全な形で今日に伝えられているのは『延喜式』だけであり、しかも規定の内容が微細な事柄に及ぶため、日本古代史の研究に不可欠の文献となっている。
宣長も『うひ山ぶみ』の中で、記紀、万葉、六国史に次いで見るべき書として本書をあげている。また、「延喜式の祝詞の巻、又神名帳などは、早く見ではかなはぬ物なり」(延喜式の祝詞の巻と神名帳は早くから見ないといけない)と言っている。
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「宣長の使った古典のテキスト」の『延喜式』
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「祝詞・宣命の研究の目的」
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