midashi_v.gif 藤原宮御井の歌は殊によろし

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 藤原宮跡周辺を歩く宣長には、師・真淵の言葉が思い起こされていたであろう。 「長歌は万葉までにて絶たり、古今はいふにもたらず、其後なるは見むもさまたげ也、是は人麻呂ぞ先は抜群也、されど藤原宮御井歌などは、人まろ同時ながら事のいひなしことにて、殊によろし」(賀茂真淵差出宣長宛、明和3年9月16日付)

  『万葉集』巻1からその長歌、また前後の短歌を引いてみよう。

 「明日香ノ宮より藤原ノ宮に遷りましし後、志貴ノ皇子の作りませる御歌
 51 釆女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたづらに吹く

  藤原ノ宮の御井の歌
 52 やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に 在り立たし 見し給へば 大和の 青香具山は 日の経(タテ)の 大御門に 青山と 繁さび立てり 畝火の この瑞山は 日の緯(ヨコ)の大御門に 瑞山と

 山さびいます 耳無の 青すが山は 背面(ソトモ)の 大御門に 宣(ヨロ)しなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天のみかげ 天知るや 日のみかげの 水こそは  常にあらめ 御井の清水

  短歌
 53 藤原の 大宮づかへ あれつくや 処女がともは ともしきろかも  
 右の歌は、作者いまだ詳らかならず」

 雄大な歌である。東に香具山、西に畝傍山、北には耳成山、そして雲居遠くに吉野を望む。その藤原の都の聖なる水の井戸を讃える。
 「日の経(タテ)・日の緯(ヨコ)」は、東西南北の方角の筆頭、東を経糸で表したもの。陽の東に対し陰の西は緯(ヨコ)糸で表し、下に「日の緯」といっている。『高橋氏文』(『本朝月令』所引)にも東を日竪、西を日横にあてている。ただし成務紀(5年9月)には、東西を日縦、南北を日横としている。(『万葉集釈注』伊藤博)



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