midashi_v.gif 福岡藩士の金印論

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 南冥の『金印弁』の外、藩校・東学の竹田定良は『金印議』を、また、藩儒・村山広は『後漢書金印記』を執筆した。これらの著述を写して勉強したのが、宣長の高弟であり、やがて日本考古学の先駆者となる青柳種信(アオヤギ・タネノブ)である。金印発見時には19歳。藩での身分も低く、また当時江戸で勉学中であったため直接は「金印発見」には関わらなかったが、文化9年(1812)7月、測量のために筑前に入った伊能忠敬(イノウ・タダタカ)の案内役を務めた種信は、その求めに応じて自著『後漢金印略考』、『宗像宮略記』を贈っている。


>>「青柳種信」


(C) 本居宣長記念館


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