midashi_b 学問をする歓び−曙覧の場合−

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 楽しみは鈴屋大人の後に生まれその御諭をうくる思う時 

 この歌は、福井に生まれた橘曙覧(1812〜1868)の詠んだ歌である。当時の社会においては勉強することは大変な困難を伴った。曙覧が貧しい生活をしていたことは有名である。
 「足羽神社のしだれさくらが葉桜になったころ新居は完成し、屋移りをした。午後から門弟たちが引っ越し荷物を大八車に積んで運んだ。といってもなにほどの荷物もなかった。布団や鍋、釜、文机とあれこれのがらくたしかない。ただ書物の多いのには驚いた。買ったものではない。借りて筆写したものであるが、きちんと製本されて何百冊もあった。尚事(曙覧)の楽しみのうちには、筆写と製本の喜びがあった。筆写されて製本し、一冊のものになるとなににもまして嬉しいのである。買うことができない書物も借りて写せば紙代だけで自分の所有になる。苦労して写しただけにわが子のように愛しい。写しながら味わうこともできる。
 大八車のあとについて、尚事は師翁大秀に書いてもらった宣長大人の霊位の軸を抱え、今滋の手をひいていた。妻の直子は次男の咲久をおんぶし風呂敷包みをさげている。」         『清貧の歌人 橘曙覧』上坂紀夫

 宣長の門人でも豊かな人は数えるほどしかいない。質素な生活をしながら、好きな勉強を続けたのである。


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