midashi_v.gif 「学問所建設願書」

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 本居宣長筆。
 寛政6年(1794)12月、宣長が松坂医師・塩崎宋恕と連名で紀州藩に提出したとされる請願書。宣長自筆の草稿が残る。内容は、松坂愛宕町少名彦神社(当時は薬師堂、またその庵として周徳寺があった)に学問所建設を求めるもの。但し、当面は、町内会所として使用されている周徳寺の建物を使い、将来的には「松坂学校」また「学館」という名称の使用を認可して欲しいと書く。願書の中には、儒学、神学、医学、歌学など有益の諸芸稽古の場所と書くが、真意としては講釈や歌会などに使用する、今の公民館的な施設を企図したか。また、宿舎、文庫の併設を願うが、このような請願の背景には、学問普及と言う目的と、宣長の門人や来訪者も増加への対応策ということも考えられる。「附紙」で書家韓天寿の収集品の散逸を防ぐことを進言するのが注目される。

 だが、先に「らしい」と書いたように、実際に提出されたかどうかは疑問。もちろん認可された形跡もない。天寿蔵品も散逸した。その後、松坂には文化元年(1804)代官小路に藩の「松坂学問所」が建設されるが、宣長らの請願と直接の関係は無いと思われる。

【データ】
『学問所建設願書』
1巻。本居記念館蔵。本居宣長筆。巻子。楮紙。寸法・本紙、縦16.4cm、横88.8cm。附紙、縦16.5cm、横17.5cm。外題(題簽)書名同。箱書「学問所建設願書」、底「宣長翁の学按なり、書中に中川精三郎とあるは韓天寿なり、清造しるす」。


「学問所建設願書」(部分)

「学問所建設願書」(部分)


【翻刻】
『本居宣長全集』別巻2。


夜の愛宕町

「夜の愛宕町」
写真右に寿司「長の屋」が見える。
このあたりに少彦名社があった。


>> 「来訪者対策」
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>> 「塩崎宋恕」
>> 「少彦名社」



(C) 本居宣長記念館


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