midashi_p.gif ご飯に感謝

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 たなつもの百の木草も天照す日の大神の恵みえてこそ
 朝宵に物くふごとに豊受の神の恵みを思へ世の人                              『玉鉾百首』

 食事が出来るのは伊勢神宮に祀られる神のおかげだと言う歌だが、食事の時、箸を止めて、このご飯の食べられるのも神様のおかげではないか、なぜみんなそのことを感謝しないのかなあと、ふっと出た宣長の独白のような歌であろう。

 宣長には食物に対する信仰とも言える感謝の念があった。「稲」はその代表である。
  『玉鉾百首』の歌も、『古事記伝』の「稲は殊に、今に至るまで万の国にすぐれて美(めでた)きは、神代より深き所由あることぞ、今の世諸人、かゝるめでたき御国に生れて、かゝるめでたき稲穂を、朝暮に賜(た)ばりながら、皇神の恩頼をば思ひ奉らで」と言う主張もこのような思いから発している。また『玉くしげ』や『伊勢二宮さき竹の弁』でも一つの基調となっている。

 また『日記』宝暦12年以降、寛政11年まで各年末には米価が記される。  
 宣長は日本の国のすばらしさを主張するとき、米に恵まれ得ていることをまず挙げる。確かに24粒の籾種が秋には2合5勺の精米になる。成人男子の一日分にはちょっと足りないが、生産性は高い。日本が「瑞穂の国」であったことは、社会の安定の大きな要因である。

【参考】
「外宮古殿神異の図」
 仮称。軸装、紙本木版手彩色。本紙寸法84.0×27.5糎。
「いはまくもかしこけれと、豊受大神は天か下に生としいけるものゝ」たふる食物をことごとく司らせ給ふ御神徳のおはしまし」皇太神の高天の原よりして、いつかせ給ふ深きゆゑよしのありて」朝廷よりも重く祭らしめ給ふ事は世の人のよくしる所也、然るにこの」大神を祭り奉る外宮の古殿の御前に、ことし明治三年の夏の頃より」おのつからいねと粟と生ひ出てみつみつ敷実のりしは、いともいともくすしく」めてたき事にて、こはまたく大神のみたま幸へ玉ひて、此秋は」国々おしなへてゆたかならしめ玉ふしるしを、よの中にしらしめ玉ふ」ものならむと尊くも悦はしくも思ひ奉る余りに、其姿を画に写し」はたその上に本居の大人平田の大人の詠おかれし歌をも因にしるして、」よの人々に御恩頼のありかたきをしらしめむと思ひ侍るに社穴かしこ/朝よひにものくふことに豊受の神のめくみを思へよの人 宣長/豊受の神は天てる日の神のいつきまつらす御饌の大神 篤胤」 山田俊幸氏蔵

>>「宣長の隠岐の歌」



(C) 本居宣長記念館


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