midashi_b 寛政2年の御遷幸

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 天明8年(1788)正月晦日、御所の南東、鴨川の東宮川町団栗図子の空き家から出火した火事は、御所など京の町の過半を焼き尽くしてしまった。
 光格天皇は聖護院を仮御所とされた。そして松平定信を御所造営総奉行に任命し再興が始まった。朝廷は4月1日、裏松光世(ウラマツ・ミツヨ)に諮問、その労作である『大内裏図考証』(本書には藤貞幹も協力したとされる)を基本とした復古的な造営を幕府に要求する。財政逼迫する幕府との度重なる交渉の結果、朝廷の意向に添ったプランが採択された。

 先年、フェノロサ・コレクションとして日本に里帰りした「行幸図」(吉川周圭画・ボストン美術館所蔵)は、この新造営なった御所への天皇の遷幸の行列を描いたものである。

 光格天皇の乗った鳳輦(ホウレン)は、卯の刻(午前6時頃)聖護院を出て万里(マデ)小路を北に上がり美福門代、建礼門、承明門を通り、未の刻(午後2時頃)紫宸殿に入った。
 復古的で豪壮な新造営御所にふさわしい行列である。

 この時の行列にはいくつかのガイドブックが作られた。主催する側も、また見物する者も「古代」を体験するという感覚が共有されていた。
 この御遷幸は、古代への憧憬とそれを裏付ける研究が続々とまとまる、天明、寛政期を象徴する一大ページェントであった。
 御遷幸を見た宣長が詠んだ長歌が『仰遷鹵簿長歌』(ギョウセンロボノチョウカ)で、大館高門により刊行された。また、その後『鈴屋集』にも載せられた。


御遷幸ガイドブック

「御遷幸ガイドブック」


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