『馭戎慨言』(ギョジュウガイゲン・カラオサメノウレタミゴト)

 2巻4冊。安永7年(1778)2月30日成立。寛政8年(1796)刊。序は鈴木朖。古代から豊臣秀吉の朝鮮出兵までの日本外交史を叙述する。基礎史料を明示し、文献批判する手法は堅実で、例えば邪馬台国論争などにも大きな影響を与えた。最初の書名は『待異論』。『馭戎慨言』は、尊内外卑という立場を明確にしようと主張し、書名も、つまり中国や朝鮮(戎)を日本が統御(馭)するべきだと慨嘆しながら論じるという態度で付けられる。

 日本外交史は、京都遊学時代、つまり漢学を学んでいた時期から、宣長には重大な関心を寄せたテーマであった。その頃のノートである『本居宣長随筆』巻2には、『王維詩集』から阿倍仲麻呂記事を引いたり、また『宋史』、『唐書』、『晋書』、『後漢書』などの記事を書写し余すところがない。

 本書は、「馭戎慨言は異称日本伝ノ抜書ノ様成ものニ而おもしろからす候」(寛政8年10月4日付荒木田久老差出栗田土満宛書簡)と言う評のある一方、医学の師・武川幸順は感銘して摂政・九条尚実に献上しようとした。その時の宣長の歌が「摂政殿に馭戎慨言を御覧せさす時そへて奉れる」という詞書で『鈴屋集』に載る。また、漢学者・市川匡麻呂も「我常に此事を思ふ、此事を、今の江戸の御老中、又其外の諸役人にもエトクせしめたき事、江戸衆常に朝鮮を恐れ入り、から国をうやまふ心あり、あさましき哉」と言ったという。その背景には、当時の知識人のジレンマ、まじめに儒学を勉強すると、文化面で大陸から完全に侵略された日本という思いがあった。
 もちろん今では、大陸侵略論があるとか、題名が悪いとか、評判は大変悪い。
 因みに、摂政へ献上したときの歌は、石刷で「四大人墨跡」の一つとして普及した。


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