和歌山の城下は質実剛健を尊ぶ、質素な町で、町としての格式が備わってきたのは宣長が仕えた10代藩主治宝(ハルトミ)以降だという。それでも、大平の手紙を見ると、庭の樹を楽しむのは700、800石以上の人で、1,000石取以上の侍の生活水準が、松坂で言えば江戸店持ちの暮らし振りと同じ程度だった。 > >「町の豊かさ」 > >「南海の鎮(シズメ)・和歌山城」