midashi_o.gif 村田春海はどこへ行った

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 真淵のこの時の旅には村田春郷、春海等が同伴した。『賀茂翁家集』巻4「富士の嶺を観てしるせる詞」左注に「宝の暦十まり三とせの春、春郷・春海等と大和へまかる時に、此みねを見さけながらにしてしるしぬ」とある。

 また、白子の村田橋彦が、真淵の伊勢訪問を回想している中で、
「今は廿年あまり五とせ六とせのむかしなりけむ、加茂のをぢ、田安の殿の仰ごとうけたまはりて、大和と伊勢と二国の古き跡どもつばらに尋んとて、東ゆのぼり給ひし時、己がやからなりし邨田の春郷春海ふたりをしも、はるけき道の伴ひにひきゐまししそのたよりに、己家にも一日一夜とゞまりまし、のどやかにかたらひたまひし後は、をりにふれたる便毎にかならず文通はしたまひ」(宣長全集・18-302) と書いている。春海らと橋彦が同族であったことがこの記述から読みとることが出来る。一行が、春海と同族の白子・橋彦宅に泊まったのは宣長と会った次の日の夜であろう。

 さて、賀茂真淵に随行していた門人・村田春郷、春海兄弟だが、新上屋では宣長と会っていない。後年、春海が宣長の所を訪ねた時の礼状に、初対面であったと書かれている。
 師が宣長等と会っている間どこへ行っていたのだろう。
 邪推かもしれないが、きっと、盛り場をうろついていただろう。春海という人を知るほどにそう思ってしまう。



>>「村田春海」
>>「村田橋彦は真淵学伊勢出張所」



(C) 本居宣長記念館


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