midashi_o.gif 本居春庭(モトオリハ ルニワ)

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 宝暦13年(1763)2月3日〜文政11年(1828)11月7日、享年66歳。本居宣長の長男。誕生した宝暦13年(1763)2月3日の宣長の『日記』には、
「晴陰、風烈、或雪散、未刻後晴、猶風○未刻半自津使来、告今巳刻前勝安産、男子出生、母子無恙之由」
とある。ちなみにこの年5月、父・宣長は真淵と対面する。

 また、『本居氏系図』には、 「春庭、宝暦十三年癸未二月三日巳上刻於津草深氏分部町宅生、童名健蔵【宣長旧名】、安永九年庚子正月二日改称健亭」 と自分のもとの名前「健蔵」を子供に付けたことが記される。

 13歳の時に賀茂真淵著『にいまなび』を写す。以後、書物や地図などを写し父の研究を助ける。また、父の調合した「家伝あめぐすり」などの売薬の販売を手伝う。『古事記伝』刊行決定後はその版下書をする。寛政2年(1790)12月、京都で御遷幸を見て帰り、その翌年(春庭29歳)正月過ぎから目を患い、尾張国馬嶋にある明眼院などで入院加療に務めるが32歳で失明。

  その後、寛政10年(1798)12月16日(春庭・35歳)の時にいとこ・村田壱岐(17歳)と結婚、翌年正月22日披露。家督が稲懸大平に譲られ、春庭は「厄介」として家に残る。但し、失明後にも歌、また詞の研究で顕著な業績を残す。助けたのは妹・飛騨、美濃や門人、また妻・壱岐であった。

 代表作に『詞の八衢』(コトハ゛ノヤチマタ)、『詞の通路』(コトバノカヨイジ)がある。家集『後鈴屋集』。妻・壱岐との間に娘・伊豆、息子・有郷がいる。
「本居春庭六十歳像」

「本居春庭六十歳像」


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