midashi_b 遍照寺歌会(ヘンジョウジウタカイ)

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 嶺松院歌会と共に宣長の活動母体となった歌会。初会は宝暦14年(1764)1月21日。『日記』に「廿一日、晴天○遍照寺和歌会始興行」、『石上稿』に「正ノ廿一、遍照寺兼、春雪、此会今日始而興行」とある。遍照寺は十王堂とも云い松坂町矢川の天台律宗来迎寺(松阪白粉町)末寺(廃寺)。今のJR松阪駅近く、ベルタウン角(近畿日本ツーリスト)にあった。会の定日は17日(『石上稿』)。会員は嶺松寺会と共通する人が多い。宣長は、天明八年までは出詠歌が『石上稿』に載る。寛政年間は同8年を除いてはあまり振るわず、宣長の参加も月見会や須賀直見追悼歌会、また遠来の客を迎えた時などに限られる。従っていつを終焉とするかは難しい。会の様子は、後年ながら寛政6年(1794)5月17日、松坂訪問中の鈴木朖の文に詳しい。『遍照寺月次和歌集』は第2帖〜第7帖、明和3年正月17日から寛政12年7月17日が残る。但し、第7帖には寛政12年に錯簡があり、享和元年と推定される3月妙楽寺花見会、八月十五夜兼題が載る。また『於遍照寺、本居先生御門第月並和歌会詠留、天明四年甲辰正月』(殿村道応筆)1冊がある。

【参考文献】
「鈴木朖の松坂遊学」岩田隆・『文莫』7号。

>>「鈴木朖」



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