midashi_o.gif 飛騨(ヒダ)

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 明和7年(1770)正月12日〜嘉永2年(1849)正月4日。享年80歳。宣長長女。宣長は「飛弾」と書く。天明6年(1786)11月7日、17歳で母の実家である草深氏、玄鑑に嫁す。翌年12月長男・俊蔵が生まれるが、寛政2年(1790)2月に4歳で死去。同年11月、長女・通を生む。寛政4年2月から離縁話が持ち上がり、同8年春正式に離縁。後、寛政9年正月に四日市の素封家で地士・高尾九兵衛の後妻となり、2男4女を生む。宣長の子どもの中で最後まで存命。後継者の絶えた本居家に高尾家の後継である孫の信郷を入れ、本居家の存続を計る。法名は知覚貞鏡信女。

【参考文献】
「本居宣長と高尾家」岡本勝『鈴屋学会報』10号。


>>「眼病治療の旅」
>>「長女飛騨の証言」
>>「本居信郷」
>>「京都の春庭」



(C) 本居宣長記念館


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