midashi_v.gif 「檜垣媼図」(ヒガキオウナノズ)

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 天明2年(1782)4月8日、肥後国岩戸山霊巌洞の嶺から発見され「檜垣媼像」。入れ物には「檜垣女形自作」と刻されていた。
  檜垣媼(ヒガキノオウナ)とは平安時代の歌人で、『後撰集』に歌が載る。また『袋草紙』という和歌にまつわる話を集めた本には、「肥後国遊君檜垣翁、老後落魄者也」とある。
  この像の発見は橘南谿著『西遊記』にも載り、中島広足の『檜垣家集補注』にも紹介された。
 ただ、宣長は信じていない。どうも変だ。

「檜垣媼が、みづからきざみたる、ちひさき木の像(カタ)の、肥後国の、わすれたり、何とかいふところより、ちかく堀出たる、うつしとて、こゝかしこに写しつたへて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、たしかなるやうにきこゆれど、なほ心得ぬこと有て、うたがはしくなむ、すべてかうやうのたぐひ、今はゆくりかにはうけがたきわざ也、心すべし」
 (『玉勝間』巻8「ふるき物またそのかたをいつはり作る事」)
 もちろん今はこんなものを信じる人はいない。
 偽物を作り学界を混乱させる手合いは今も昔も多いが、藤貞幹はその代表格だ。天明、寛政年間、新しい発見の続く中で、これはよい、これはダメと、確かな目で峻別したのも宣長の大きな功績である。



>>「藤貞幹」



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