midashi_o.gif 本屋・柏屋

l_o3

 『宝暦咄し』には、「本屋は藪屋勘兵衛壱軒也」とある。松坂に本屋さんは一軒だけしかなかったのだろうか。そんなことはない。柏屋兵助、文海堂がある。大平の親戚に当たる家で、宣長の本を扱うことで全国的にも有名になった本屋だ。暖簾は池大雅、扁額は韓天寿であったと伝える。魚町宣長宅から約8分。

 賀茂真淵が新上屋に泊まっているよ、と宣長に教えたのはここの主人だという(佐佐木信綱説)。安永5年(1776)、宣長の『字音仮字用格』を田丸屋正蔵と刊行して以後、多くの宣長本の出版に関係する。
 本屋としては後発だ。最初、松坂には藪屋と言う本屋があり、それに次いで開店したのだろう。うがった見方をすると、『宝暦咄し』の著者、壺仙の得意とする俳書は藪屋しか扱っていなかったか。
 柏屋の営業拡張の資料と思われるものがある。天明7年(1787)の土地の売買証文だ。売り手は尾張屋十郎兵衛後家、買い手は柏屋である。
 尾張屋?
 そう、「松阪の一夜」で同席した尾張屋太右衛門の実家らしい。間口5間というから結構広い。代金は100両。下世話な話だが宣長の医者の年収位だ。

【資料】
「永代売渡申家屋敷証文之事/一、日野町上ノ町西側表口五間半裏行町並/我等所持之家屋鋪並二間ニ三間之土蔵一ヶ所、九尺ニ二間半之土蔵一ヶ所其外建物共貴殿へ代金百両テ売渡、則金子慥受取申所実正也、然上は右屋敷ニ付諸親類ハ不及申横合より横妨申者無御座候、万一何に六ヶ敷義出来候共当人並加判之者何事迄も罷出貴殿へ少茂御苦労掛申間敷候、為後日の仍而売券状如件、天明六年丙午十月/売主尾張屋十郎兵衛後家(印)/五人組薮屋庄兵衛(印)/同白塚屋太郎兵衛(印)/同鳥谷屋三郎衛門(印)/柏屋兵助殿」『資料集録』(山田勘蔵自筆稿本)より再録。所蔵者不明。

 柏屋の場所は、山田勘蔵先生の「松阪新上屋の話」に地図が出る。今の岩井たばこ店あたりである。

本屋・柏屋


> >「廊下に座る男の影」
> >「柏屋」
> >「新上屋の位置」
> >「本屋・藪屋勘兵衛」
> >「松坂の本屋さん・落ち穂拾い」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる