midashi_o.gif 堀景山(ホリ・ケイザン)

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 元禄元年(1688)〜宝暦7年(1757)9月19日。享年70歳。
 宣長が書いた師のプロフィールは、

「先生、姓堀、諱正超、字君燕、俗称禎助、林道春門人堀正意之後、蘭皐先生之男、代々芸州儒官也、家在綾小路室町西、禄二百石、先生、宝暦七年丁丑九月十九日没、七十歳」(『本居氏系図』)。
 ここに書かれたように、諱、正超、字、君燕、俗称、禎助。曾祖父は林道春門人・堀正意(杏庵)である。父は蘭皐。代々、芸州(広島)浅野家の儒官であったが京都住を許され、京都綾小路室町西に住む(ある説では、宣長が紀州家に召し抱えられたときに松坂住を願ったのも師の例が頭にあったのではという)。禄は200石。

 宝暦2年(1752)3月に宣長は入門し、同月19日から、同4年10月10日に武川幸順宅に移るまで寄宿する。景山は、樋口宗武と計って『百人一首改観抄』を刊行したという話も伝わるほど、日本古典にも造詣が深く、宣長の『日本書紀』も景山から伝与された本である。またやはり手沢本『春秋左氏伝』も景山説を丹念に写したものである。景山先生は歴史好きというのもあるかも知れないが、面白くて読んでいたとも言えなくはない。文学説を始め影響は大きかった。著書は随筆『不尽言』、これは最近、岩波書店「新日本古典文学大系」で簡単に読むことが出来るようになった。また『楽教訳解』と言う本があったと本居清造翁は伝えるが所在不明。

【参考文献】
『堀景山伝考』高橋俊和・和泉書院(2017年2月15日)

「本居宣長修学の地」碑(堀景山宅跡)
「本居宣長先生修学之地」側面

「本居宣長修学の地」碑(堀景山宅跡)

「本居宣長先生修学之地」側面


>>「四条烏丸の宣長」
>>「毎月の宣長さん」の「7月大好き人間「堀景山」」
>>「床の間の掛け軸」
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>>「宣長の使った古典のテキスト」の『日本書紀』
>>『春秋左氏伝』
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>>「堀景山死す」
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