宣長に限らず当時の人の朝は早い。夜明け前には起きて、行動を開始した。
43歳の菅笠の旅でも夜明け前の出立である。65歳の和歌山行きでも松坂魚町の家を出立した宣長は、約5kmほど行った立野(立野町)で夜明けを迎えた。
さて、顔を洗ったら神様への遙拝だ。決められた方角に向き作法通りに拝す。その作法書が『毎朝拝神式』である。
また、剣南道人の『理趣情景』(明治38年7月)には、宣長は朝早く起きてまず部屋の柱にもたれ一日の予定を立てるのと言う話が紹介される。
昼間は医者だ。但し、月に3回の歌会(嶺松院歌会2回、遍照寺歌会1回)は午後に開かれたから休診だ。
夕方、黄昏時、宣長は歌を考えていたという。明かりを付けるにはもったいない。でも本を読んだり書いたりするのには暗すぎる。だが、歌を詠むには明かりはいらぬ。
こんな話がある。
「常に日暮れ方の、火ともすには早し字ハ見えずと云ふ時刻を利用して歌よむ事に定めたり。依りて本居先生の歌よみ時とは門人中の通語なりしといふ」『和文学史』大和田建樹(明治32年)
夕飯が終わると、3日に一度、多いときで隔日、奥座敷で講釈がある。
それが終わって皆が帰ると宣長の時間だ。本を写し、執筆する。時には徹夜もする。
「毎月の宣長さん」11月でも紹介したがこんな歌がある。
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「ますらをは はだれ霜ふり 寒きよも
こころふりおこし 寝ずてふみよめ 」
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(男なら寒い夜でも心を奮い立たせて徹夜で本を読め。)
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「寒けくて ふみて(筆) 取る手は かがむ共
なおこたりそね 長き此の夜を 」
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(寒くて筆を持つ手がしびれても、怠ってはいけない。冬の夜は長いから貴重だぞ。)
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「この朝け 堀坂山に 初雪降りぬ
ぬば玉の きその夜嵐 うべもさへけり」
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(朝起きてみると堀坂山に初雪が見えた。昨夜の嵐が、あの雪を降らせたのだなあ。)
冬の夜、寒さでかじかむ手をさすりながら机に向かう宣長の姿が浮かんでくる、そんな連作である。
来訪者が来ると、多忙な中からさらに面談の時間が割かれることになる。
寛政7年、千家俊信に来訪しても講釈の時しか会えないよと断った同じ年、九州の長瀬真幸にこんな事を書簡(3月22日付)で書いている。
- 「老儀も近来殊外多用ニ而、一向手透無之候へは、此地御逗留中とても、ひしと打かゝり御対話出来かたく、一日之内半時計、或ハ夜分等ならてハ、寛々御咄し申候義も難致候間」
- (せっかく来てもらっても、一日の内会えるのは1時間(半時)位、あるいは夜分でないとゆっくり話もできない。)
本当に忙しい毎日であった。
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