midashi_b 教科書に載った「松坂の一夜」 資料1

l_b3

1,『尋常小学国語読本巻十一』
 大正14年9月14日文部省検査済・大正14年12月5日翻刻発行・著作兼発行者文部省・翻刻発行兼印刷者東京書籍株式会社・発売所(株)国定教科書共同販売所。70頁〜77頁。

  第十七課 松阪の一夜
 本居宣長(のりなが)は伊勢(いせ)の国松阪の人である。若い頃から読書がすきで、将来学問を以て身を立てたいと、一心に勉強してゐた。 或夏の半ば、宣長はかねて買ひつけの古本屋に行くと、主人は愛想よく迎へて、
「どうも残念なことでした。あなたがよく会ひたいと御話しになる江戸の賀茂真淵(かもまぶち)先生が、先程御見えになりました。」 といふ。あまり思ひがけない言葉に宣長は驚いて、
 「先生がどうしてこちらへ。」
 「何でも山城・大和(やまと)方面の御旅行がすんで、これから参宮をなさるのださうです。あの新上屋(しんじやうや)に御泊りになつて、さつき御出かけの途中『何か珍しい本はないか。』と、御立寄り下さいました。」
 「それは惜しいことをした。どうかして御目にかゝりたいものだが。」
 「後を追つて御いでになつたら、大てい追ひつけませう。」
 宣長は、大急ぎで真淵の様子を聞きとつて、後を追つたが、松阪の町はづれまで行つても、それらしい人は見えない。次の宿のさきまで行つてみたが、やはり追ひつけなかつた。宣長は力を落して、すごすごともどつて来た。さうして新上屋の主人に、万一御帰りに又泊られることがあつたら、すぐ知らせてもらひたいと頼んでおいた。
 望がかなつて、宣長が真淵を新上屋の一室に訪ふことが出来たのは、それから数日の後であつた。二人はほの暗い行燈(あんどん)のもとで対座した。真淵はもう七十歳に近く、いろいろりつぱな著書もあつて、天下に聞えた老大家。宣長はまだ三十歳余り、温和なひとゝなりのうちに、どことなく才気のひらめいてゐる篤(とく)学の壮年。年こそちがへ、二人は同じ学問の道をたどつてゐるのである。だんだん話してゐるうちに、真淵は宣長の学識の尋常でないことをさとつて、非常にたのもしく思つた。話が古事記のことに及ぶと、宣長は
 「私はかねがね古事記を研究したいと思つてをります。それについて何か御注意下さることはございますまいか。」
 「それはよいところに気がつきました。私も実は我が国の古代精神を知りたいといふ希望から、古事記を研究をしようとしたが、どうも古い言葉がよくわからないと十分なことは出来ない。古い言葉を調べるのに一番よいのは万葉集です。そこで先づ順序(じょ)として万葉集の研究を始めたところが、何時の間にか年をとつてしまつて、古事記に手を延ばすことが出来なくなりました。あなたはまだお若いから、しつかり努力なさつたら、きつと此の研究を大成することが出来ませう。たゞ注意しなければならないのは、順序正しく進むといふことです。これは学問の研究には特に必要ですから、先づ土台を作つて、それから一歩一歩高く登り、最後の目的に達するやうになさい。」
夏の夜は更けやすい。家々の戸はもう皆とざされれてゐる。老学者の言に深く感激した宣長は、未来の希望に胸ををどらせながら、ひつそりした町すぢを我が家へ向つた。
 其の後宣長は絶えず文通して真淵の教を受け、師弟の関係は日一日と親密の度を加へたが、面会の機会は松阪の一夜以後とうとう来なかつた。 宣長は真淵の志をうけつぎ、三十五年の間努力に努力を続けて、遂に古事記の研究を大成した。有名な古事記伝といふ大著述は此の研究の結果で、我が国文学の上に不滅の光を放つてゐる。



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる