midashi_b 教科書に載った「松坂の一夜」 資料4

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4,『小学国語読本巻十一尋常科用』
 昭和14年2月13日文部省検査済・昭和14年2月28日翻刻発行・著作兼発行者文部省・翻刻発行兼印刷者東京書籍株式会社・発行所東京書籍株式会社。68頁〜74頁。

  第十三 松阪の一夜
 本居宣長(もとをりのりなが)は、伊勢(いせ)の国松阪の人である。若い頃から読書が好きで、将来学問を以て身を立てたいと、一心に勉強してゐた。
 或夏の半ば、宣長がかねて買ひつけの古本屋に行くと、主人は愛想よく迎へて、
 「どうも残念なことでした。あなたがよく会ひたいとお話しになる江戸の賀茂真淵(かもまぶち)先生が、先程お見えになりました。」
といふ。あまり思ひがけない言葉に宣長は驚いて、
 「先生がどうしてこちらへ。」
 「何でも、山城・大和(やまと)方面の御旅行がすんで、これから参宮をなさるのださうです。あの新上屋(しんじやうや)にお泊りになつて、さつきお出かけの途中『何か珍しい本はないか。』と、お立寄り下さいました。」
 「それは惜しいことをした。どうかしてお目にかかりたいものだが。」
 「後を追つてお出でになつたら、大てい追附けませう。」
 宣長は、大急ぎで真淵の様子を聞取つて、後を追つたが、松阪の町のはづれまで行つても、それらしい人は見えない。次の宿の先まで行つてみたが、やはり追附けなかつた。宣長は力を落して、すごすごともどつて来た。さうして新上屋の主人に、万一お帰りに又泊られることがあつたら、すぐ知らせてもらひたいと頼んでおいた。
 望がかなつて、宣長が真淵を新上屋の一室に訪ふことが出来たのは、それから数日の後であつた。二人は、ほの暗い行燈(あんどん)のもとで対座した。真淵はもう七十歳に近く、いろいろりつぱな著書もあつて、天下に聞えた老大家。宣長はまだ三十歳余り、温和な人となりのうちに、どことなく才気のひらめいてゐる少壮の学者。年こそ違へ、二人は同じ学問の道をたどつてゐるのである。だんだん話をしてゐる中に、真淵は宣長の学識の尋常でないことを知つて、非常に頼もしく思つた。話が古事記のことに及ぶと、宣長は、
 「私は、かねがね古事記を研究したいと思つてをります。それについて、何か御注意下さることはございますまいか。」
 「それは、よいところにお気附きでした。私も、実は早くから古事記を研究したい考はあつたのですが、それには万葉集(まんえふしふ)を調べておくことが大切だと思つて、其の方の研究に取りかゝつたのです。ところが、何時の間にか年を取つてしまつて、古事記に手をのばすことが出来なくなりました。あなたはまだお若いから、しつかり努力なさつたら、きつと此の研究を大成することが出来ませう。たゞ注意しなければならないのは、順序正しく進むといふことです。これは、学問の研究には特に必要ですから、先づ土台を作つて、それから一歩々々高く登り、最後の目的に達するやうになさい。」
 夏の夜はふけやすい。家々の戸は、もう皆とざされれてゐる。老学者の言に深く感動した宣長は、未来の希望に胸ををどらせながら、ひつそりした町筋を我が家へ向つた。
 其の後、宣長は絶えず文通して真淵の教を受け、師弟の関係は日一日と親密の度を加へたが、面会の機会は松阪の一夜以後とうとう来なかつた。
 宣長は真淵の志を受けつぎ、三十五年の間努力に努力を続けて、遂に古事記の研究を大成した。有名な古事記伝といふ大著述は此の研究の結果で、我が国文学の上に不滅(ふめつ)の光を放つてゐる。



(C) 本居宣長記念館


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