midashi_b 教科書に載った「松坂の一夜」 資料5

l_b3

5,『新制新撰女子国語読本四年制用巻四』
 昭和16年12月9日文部省検定済・高等女学校国語科用実業学校国語科用・昭和12年6月20日発行・昭和16年10月30日訂正三版発行・編者佐佐木信綱・発行所湯川弘文社。49頁〜56頁。

   七 松坂の一夜
 時は夏の半ば、「いやとこせ」と長閑やかに唄ひ連れてゆくお伊勢参りの群も、春先ほどには騒がしからぬ伊勢松坂なる日野町の西側、古本を商ふ老舗文海堂柏屋兵助の店先に、「御免。」といつて腰をかけたのは、魚町の小児科医で年の若い本居舜庵であつた。医師を業とはしてゐるものの、名を宣長といつて、皇国学(みくにまなび)の書やら、漢籍やらを常に買ふこの店の顧主であるから、主人は笑ましげに出迎へたが、手を拍つて、「あゝ残念なことをしなされた。あなたがよく名前を云つておいでになつた江戸の岡部先生が、若いお弟子と供を連れて先ほどお立寄りになつたに。」
といふ。舜庵は、いつものゆつくりした調子とは違つて、「先生がどうして此処へ。」 と、あわたゞしく問ふ。
主人は、
 「何でも田安様の御用で、山城から大和とお廻りになつて、帰途に参宮をなさらうといふので、一昨日あの新上屋へお著きになつた所、少しお足に浮腫が出たとやらで御逗留。今朝はもうお宜しいとの事で、御出立の途中、何か古い本は無いかと、暫くお休みになつて、参宮にお出かけになりました」。
 舜庵、「それは残念なことである。どうかしてお目に懸りたいが」。
 「跡を追うてお出でなさいませ、追附けませう。」
と主人がいふので、舜庵は一行の様子を大急ぎで聴取つて店を出た。
 迹を追うて松坂の町を離れ、次の宿なる垣鼻(かいばな)村の先まで行つたが、どうしてもそれらしい人に追附き得なかつたので、すごすごとわが家に戻つて来た。
 数日の後、岡部衛士は神宮の参拝をすませ、二見が浦から鳥羽の日和見山(ひよりみやま)に遊んで、夕暮に再び松坂なる新上屋に宿つた。
 「若し帰途に又泊まられたなら、どうか知らせて貰ひたい。」と頼んで置いた舜庵は、夜に入つて新上屋からの使いを得たので、取るものも取敢へず旅宿を訪うた。同行の弟子の村田春郷は二十五、その弟の春海は十八の若盛りで、早くも別室にくつろいでゐた。衛士は仄暗い行燈の下に舜庵を引見した。
 賀茂県主真淵、通称岡部衛士は、当年六十七歳、その大著なる冠辞考・万葉考なども既に成り、将軍有徳公の第二子田安中納言宗武卿の国学の師として、その名嘖々(※さくさく)たる一世の老大家である。年老いたれども頬ゆたかなる此の老学者に相対してゐる本居舜庵は、眉宇の間に迸つてをる才気を温和な性格に包んでゐる三十四歳の壮年、而も彼は二十三歳の時、京都に遊学して医学を学び、二十八歳にして松坂に帰つて医を業としてゐたが、京都ではたゞ医術を学んだのみでなく、契沖の著書を読破し、国学の蘊蓄も深かつたのである。
 舜庵は長い間欽慕してゐた身の、ゆくりなき対面を喜んで、豫て志してゐる古事記の注釈に就いて、その計画を語つた。老学者は若人の言を静かに聴いて、懇にその意見を語つた。
 「我も固より神典を解き明らめんの志があつたが、それには先づ漢意(からごころ)を清く離れて古の真の意を尋ね得ねばならぬ。古の意を得んには、古の詞を得た上でなければならぬ。古の詞を得んには、万葉をよく明らめねばならぬ。それ故自分は専ら万葉を明らめて居た間に、かくも年老いて、残の齢はいくばくも無く、神典を説くまでに至ることを得ない。御身は年盛りで、ゆく先が長いから、怠らず勉めさへすれば、必ず成し遂げられるであらう。併し世の学に志す者は、とかく低い処を経ないで、すぐに高い処へ登らうとする弊がある。かくては低い処をさへ得ることが出来ぬのである。此の旨を忘れず、心にしめて、まづ低い処をよく固めておいて、さて高い処に登るがよい。」
と諭した。
 夏の夜は早くも更けて、家々の門の皆閉され果てた深夜に、老学者の言に感激して面ほてりした若人は、闇夜の道の何処を蹈むとも覚えず、魚町の東側なるわが家の潜戸をはひつた。隣家なる桶利の主人は律義者で、いつも遅くまで夜なべをして居る。今夜もとんとんと桶の箍(たが) を入れてゐる。時にはやかましいと思ふ折もあるが、今夜の彼が耳には何の音も響かなかつた。
 舜庵は、その後江戸に便りを求め、翌年の正月、村田傳蔵が中にはひつて、名簿を捧げ、うけひごとをしるして、県居の門人録に名を列ねる一人となつた。爾来松坂と江戸との間、飛脚の往来に、彼は問ひ此は答へた。門人とは云へ、その相会うたことは僅かに一度、唯一夜の物語に過ぎなかつたのである。
 今を距る百七十余年前、宝暦十三年五月二十五日の夜、伊勢国松坂日野町なる新上屋の行燈は、その光の下に語つた老学者と若人とを照らした。しかも其仄暗い燈火は、我が国学史の上に不滅の光を放つてゐるのである。



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる