midashi_b 教科書に載った「松坂の一夜」 資料6

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6,『初等科修身 四』
 昭和17年2月21日文部省検査済・昭和17年4月11日翻刻発行・著作兼所有文部省・翻刻発行兼印刷者東京書籍株式会社・発行所東京書籍株式会社・『日本教科書大系 近代編 第三巻 修身』より。

   第十一 松阪の一夜
 本居宣長(もとをりのりなが)は、伊勢(いせ)の国松阪の人である。若いころから読書がすきで、将来学問を以て身を立てたいと、一心に勉強してゐた。
 ある夏のなかば、宣長がかねて買ひつけの古本屋に行くと、主人はあいさうよく迎へて、
 「どうも残念なことでした。あなたが、よくおあひになりたいといはれてゐた江戸の賀茂真淵(かもまぶち)先生が、先ほどお見えになりました。」
といふ。思ひがけない言葉に宣長は驚いて、
 「先生がどうしてこちらへ。」
 「なにでも、山城・大和(やまと)方面の御旅行がすんで、これから参宮をなさるのださうです。あの新上屋(しんじやうや)におとまりになつて、さつきお出かけの途中『何かめづらしい本はないか。』と、お寄りくださいました。」
 「それは惜しいことをした。どうかしてお目にかかりたいものだが。」
 「あとを追つておいでになつたら、たいてい追つけませう。」
 宣長は、大急ぎで真淵のやうすを聞き取つて、あとを追つたが、松阪の町のはづれまで行つても、それらしい人は見えない。次の宿(しゆく)の先まで行つてみたが、やはり追ひつけなかつた。宣長は力を落して、すごすごともどつて来た。さうして新上屋の主人に、万一お帰りにまたとまられることがあつたら、すぐ知らせてもらひたいと頼んでおいた。
 望がかなつて、宣長が真淵を新上屋の一室にたづねることができたのは、それから数日ののちであつた。二人は、ほの暗い行燈(あんどん)のもとで対面した。真淵はもう七十歳に近く、いろいろりつぱな著書(ちよしよ)もあつて、天下に聞えた老大家。宣長はまだ三十歳余りで、温和な人となりのうちに、どことなく才気のひらめいてゐる少壮の学者(がくしや)。年こそ違へ、二人は同じ学問の道をたどつてゐるのである。
 だんだん話をしてゐるうちに、真淵は宣長の学識(がくしき)の尋常(じんじやう)でないことを知つて、非常(ひじやう)にたのもしく思つた。話が古事記のことにおよぶと、宣長は、
 「私は、かねがね古事記を研究したいと思つてをります。それについて、何か御注意下さることはございますまいか。」
 「それは、よいところにお気附きでした。私も、実は早くから古事記を研究したい考へはあつたのですが、それには万葉集(まんえふしふ)を調べておくことが大切だと思つて、その方の研究に取りかかつたのです。ところが、いつのまにか年を取つてしまつて、古事記に手をのばすことができなくなりました。あなたは、まだお若いから、しつかり努力なさつたら、きつとこの研究を大成することができませう。ただ、注意しなければならないのは、順序(じゆんじよ)正しく進むといふことです。これは、学問の研究には特に必要ですから、まづ土台を作つて、それから一歩一歩高くのぼり、最後の目的に達するやうになさい。」
 夏の夜はふけやすい。家々の戸は、もう皆とざされれてゐる。老学者の言に深く感動した宣長は、未来の希望に胸ををどらせながら、ひつそりした町筋をわが家へ向かつた。
 そののち、宣長は絶えず文通して真淵の教へを受け、師弟の関係は日一日と親密(しんみつ)の度を加へたが、面会の機会は松阪の一夜以後とうとう来なかつた。
 宣長は真淵の志を受けつぎ、三十五年の間努力に努力を続けて、つひに古事記の研究を大成した。有名な古事記伝といふ大著述(だいちよじゆつ)は、この研究の結果(けつくわ)で、わが国の学問の上に不滅の光を放つてゐる。



(C) 本居宣長記念館


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