midashi_v.gif 『神代紀髻華山蔭』(ジンダイキ・ウズノヤマカゲ)

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 宣長は、古伝説をそのままに伝えた『古事記』を尊重し、『日本書紀』は漢籍風の潤色が多い点を批判した。本書はその具体例を挙げて論評した本。上巻186項、下巻114項。
 寛政10年(1798・69歳)11月13日起筆、21日稿成る。12月10日清書終わる。12年春刊。内容については『本居宣長全集』(筑摩書房)解題に詳しい。
 書名は

「斎串(イグシ)立て神酒(ミワ)据ゑ奉(マツ)祝部(カミヌシ)の雲聚(ウズ)の山蔭見れば乏しも」
             (『万葉集』巻13・3229番歌)
からとった。斎串を立てて神酒を据えてまつる神主の髪飾りのカズラを見ると心が引かれるという歌である。なお、現在は「髻華山蔭」の「山」は「玉」と読むことが一般的。「髻華山蔭」は宣長の新造語であることは西宮一民氏「本居宣長と日本書紀」(『鈴屋学会報』18号)に詳しい。

 書名に込められた意味は、
「己今ソノ漢文漢意ノ潤色ヲワキマヘタヽシテ、此ウスノ山カケヲ見レハ、神代ノ紀ハマコトニ尊トシトノ意也」(初稿本)、
つまりこの手引き書で、漢意に惑わされることなく『日本書紀』神代巻を読めば、わが国の神代が一層慕わしく思えるだろうということだろう。

 今、「『古事記伝』を音読する会」では巻三を読んでいるが、ここまで読み進める中で、宣長は『日本書紀』を尊重しているのですねえ、と感想を述べられた人がいる。その通りなのです。
  西宮論文の最後の告白を引いておく。
「私は長い間、宣長の、ことごとに「褒記貶紀」(ホウキヘンキ・古事記を褒め、日本書紀をけなすこと)の言説に対して、その真意を測りかねていた。しかし、宣長は、神代の「記・紀」は同じ主題で書かれたので、二つとも尊いと考えることから論を展開させ、「書紀」については誤解誤読を生じやすい所を説明しておくという方法をとったのだと、漸く理解できたことを告白する」
 本書には、上田百樹の説も採用されているのが目を引く。
 なお、本書の最初で「記紀」の違いを説明するのに「人の像(カタ)」を写す譬えをつかうが、これは同じ頃書いていた「絵の事」(『玉勝間』巻14)と似ているのも面白い。


>> 「上田百樹」



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