midashi_b 家業はおろそかにしてはいけない

l_b3
 大平さんがこんなことを言っている。

「むかしむかし、宣長の門人で、歌を詠むだけでなく、広く中国の本まで読み、また日本の本も歴史や法政史、有職書まで関心をもち、やがては宣長先生のように、学問で有名になり、偉い先生と呼ばれたいと思っている志の高い若者がいた。
 ある時、宣長先生の所にやってきて、学問の指針となることを教えて下さいと願った。そこで宣長は考えて、3、4日たって1首の歌を贈った。  
家のなり なおこたりそね みやびをの 
          書はよむとも 歌はよむとも
 この歌の意味は、本を読むのもいいが、まず家の仕事を大事にしなさいということだ。世の中で、学問を好む人は皆家業をおろそかにして、自分が貧乏になるだけならともかくも、家族や親戚まで不幸にする人がいる。困ったことだ。中国では、そんな学問をして出世した人がいると聞いて、家族や兄弟に生活の面倒を見てもらい学問する人がいる。もってのほかだ。学問の前に、まず生計をきちんと立てることが大事なのに。宣長先生は普段からこのように考えておられたから、この歌を贈ったのだ。
 でも、生活を重視していたら、ただの学問好きで終わってしまうことが多いのも事実だ。生活面でもきちんとして学問も傑出するのは難しい。学問に志したものが、ただのまじめな人と言われて終わるのはくやしいというこの若者の気持ちも自分にはよく分かる。
 だが、やはり先生の言われるように、きちんとした生活者であり、社会人であることが大前提で、学問はそんな人にごく自然に備わっているというのが理想であり、また奥ゆかしく思える。」

 この若い人とは、松坂の門人・村上円方(ムラカミ・マトカタ)のことだと言われている。
 宣長先生が家業の木綿商をやめて学者として有名になったのをうらやましく思い、また自分も同じようにと志した人は少なくなかったはずだ。でも先生が「医者」と言う仕事を一生懸命にして家族を養っていたことは見落とされがちだ。
 宣長が門人に言いたかったのはこのことである。
 大平の苦悩も分かるね。宣長先生のまねをするのはとっても大変なんだ。どちらかを犠牲にしないといけない。でも商人の町松坂で家業を
 でも、円方君は結局学問の道を選び、大阪近郊、伊丹に住んで国学を教えて生涯を終えたんだ。

【原文】
「或人学問にこゝろざしてむねと思ふべきことを文に書てとありけるにいさゝか思ふ事をかきつく
鈴屋翁の教子の中に歌のみに心がけずひろく漢籍をよみわたし、やまとふみどもゝ国史律令儀式などに心がけてわが世のかぎり学事にて名をあげ、いみじき先生とならむとて高く思ひあがれる若人ありて、その人ある時師にこひていはく何にまれおのれにをしへ示し給ふことかきて給へとこひたるに、その後三日四日ありて、さらばとて家の業なおこたりそねみやひをの書はよむとも歌はよむと共 といふ歌をなんかきてあたへられける、家のなりとは武士にまれ農家にまれみや人にまれ、先祖の代よりわざとしてつとむる家産をいふことなり、みやび男とは学問などする人をいふなり、みやびとは里備、夷備にむかへて大宮風にて風流文雅に心よせて、田舎めきて野卑なる方ならぬをいふにてしるべし、書よむといふよむと歌よむといふよむとは心ばへことごとなれど、詞の同じきにとりて一首のあやとなしたるなりぬ、かくよめるはつねに世の物学びするともがら、ただその学事にのみ心いれて家の産業をおろそかにして、或はやがてその家業をすてゝ、身もまづしく、つひに妻子親族のうれふるばかりにいたるまで心いるゝ学者のあるをあぢきなきすさびなり、漢国などにさるさまの人ありてそのほどは困窮(セマ)りてくるしきを堪しのぶほどにつひに高き職位(ツカサクライ・いはゐ)に引挙られて家を起こしたる事などもあるがあれば、それいみじき事に書のうへに目なれ耳なれてたゝはげみにはげみて家も身も取はづしては立がたく見ぐるしきまでにせまるまゝに、或は弟子あるはさるべくむつまじき人などにたすけをこひなどするもあるは、いとかたはらいたく道にかなはぬしわざなりとつねにおもはれて、いはゆるつねの産なくして世に在経るは見ぐるしき事なりといましめてかくをしへさとされたるなりけり、されど又学問せむと思ひたつ人のはじめより道にかなひて家のなりをもよくつとめ学をも得むとせんにはなにばかりの事か為いてん、たゞ世の常のまめ人といふ斗にて世経ぬべし、学問にもこゝろざしたる人のたゞまめ人といふにてやまんこと、かつはくちをしのわざやとたれか思はざらむ、家の業をもさかへしめ学びのわざをも世に秀でんこそ本意(ムネ)ならめ、そもそも学問は人の身の光の如く、人の心のにほひの如く、世のいとなみの外にそへもたらんこそ心にくゝおくゆかしくなんあるべき」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる