midashi_b 歌碑の謎 宣長歌碑はなぜ建てられたのか

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 小泉家墓所に宣長歌碑のあることは、早くから知られていた。『松阪市史編纂参考銘文集 第一輯』や、『三重県の文学碑 中勢編』にも紹介がある。
 歌碑は、高さ約60cm、幅1m程の石だが、墓石の間にあり文字の彫りも深くないので判読は困難を究める。試みに読むならば、

「山室山神先生、小泉君きさらきの比あつまのかたにくたり給ふに、
 一とせ吉野の花見には諸共に物せし事思ひ出られて 宣長、
   此たひはひとり見る共さくら花有し吉野の友なわすれそ」「桑圓」

(裏面)「右は小泉見卓主之秘蔵なり、子々孫々迄も大せつにしたし他家へも一切かし遣す事かたく無用、慥書附之通相守申べくものなり、倅文蔵(花押)」
であろうか。

 碑面にはさらに数文字書かれ、「桑呈書」かもしれないが判らない。
「桑圓」は大きく書かれて碑の歌などとは一見無関係のようだが、歌の脇にあるので何かの意味があるのであろう。近くの「景芳室釈善正妙邦大姉」(裏面)「明治四十年八月七日俗名くに子/七十五/桑呈書」にも脇面にやはり「桑圓」とあり、何か関連があるのかもしれない。またその墓石と背合わせの墓石には「小泉桑園居士墓/嬬人登○樹之墓」とある。「桑圓」と「桑園」、似ているがこの関係も判らない。

 この歌は、『石上稿』によれば、安永9年(1780)の作である。同集詞書も「小泉見庵二月のころ東に下りける別れによみておくる一年(ミセケチ「はやく」)吉野の花見には諸共に物せし事を思ひて」とほぼ同文である。  
  一首の大凡の意味は、名にし負う江戸の花をあなたは一人で見に行かれるのですね、でも昔、吉野に行った仲間である私のことを忘れないで下さい、と言ったところか。送別の歌である。 「山室山人先生」とは、山室山に奥墓のある宣長のことであろうが、このように称するのは願証寺の歌碑以外にはなく、大変珍しい。

 ここまでの事項を整理する。歌を贈られたのは小泉家四代目「見菴」、つっまり菅笠の旅で同行した友人であるが、秘蔵していたのは「見卓」である。同家に「見卓」は二人いる。但し、宣長が歌を詠んだ安永9年以降となれば、現在判明する限り、つまりそれ以後にも見卓を称する人がいれば別だが、6代目見卓に限られる。碑を建てたのはその息子文蔵とある。歌をもらった見庵が自分の遺言で建てさせたのではなく、その子孫である見卓等の所為であることを確認しておきたい。
 ではなぜ先祖のもらった歌を碑にしたのだろうか。そもそも贈られた歌を墓地や墓石に刻することが、よくあることかどうかは寡聞にして知らない。宣長の歌碑は50数基あるが、墓所のはこの碑を含めて2例だけである。
 結局、考えられる理由は、その頃既に高名になっていた宣長との関係を記念したとする見方である。見庵の名前は、現在は、医者としての功績や地位でなく、本居宣長の知人、或いはその吉野飛鳥への旅の同行者として、人々の記憶の内に留まっている。これは、見庵、また小泉家にとって決して不本意なことではなかったのかもしれない。

 このように漠然と考えていた私は、更なる不思議に逢着した。
 ことは数年前に始まる。某日、魚町の旧家を訪ねた時、庭石に字が彫ってあると聞き、実見に及んだ。
 自然石で、表面は凸凹して而も長石が露出するので眺めただけでは到底読めない。手でなぞっていくとどうやら宣長が見庵に贈った歌らしいことは判った。
 その後、拓本を得意とする千賀松生氏にお目に掛かったとき、どうしても読めない歌碑がある話をして、その採拓をお願いした。快く了解していただき、日を定め、苦心の末に採ってもらったが、長石などに阻まれて、字の欠ける箇所もあり、これでは読めないはずである。

「小泉君きさらき比あつまの(数文字不明)給ふに、
一とせ吉野の花見には諸共に物せし事思ひ出ら(不明)宣長、
此たひはひとり見る共さくら花有し吉野の友なわすれそ/八十翁/小泉見卓/書之」

 6代見卓の没年は墓碑によれば「文政元年戊寅十月十八日」である。この碑を書いたのは80の時。従って没年も80を下回ることはない。仮に享年80として、『系譜』に拠れば、政晁の小泉家入家は文化2年己丑4月8日、67歳の時、その子文太郎は文化4年5月13日の出生、69歳の時の子である。
  『系譜』の記載は正しいのだろうか。また、本当に碑の「見卓」は6代見卓か。なぜ同じ歌の碑が二つあるのか。謎は深まるばかりである。

 この二つの碑の関係について私は次のように考えている。
 80歳になった小泉見卓は自ら筆を執り、秘蔵する宣長の歌を染筆、自宅の庭に碑を建てた。その後、何かの事情で碑は(恐らく敷地ごと)近所の家に引き取られ、代わりに、先祖の供養も兼ねて、新しい碑を墓所に建てた。

「某家・宣長歌碑」

「某家・宣長歌碑」


>>「小泉見庵」



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