midashi_o.gif 韓天寿(カン・テンジュ)

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 享保12年(1727)〜寛政7年(1795)享年69歳。通称中川精三郎。江戸時代を代表する書家、画家。松坂中町、岡寺山継松寺横にあった両替業田丸屋の主人。33歳家業を継ぎ、34歳の時には、友人・池大雅、高芙蓉と白山、立山、戸隠、浅間山、富士山を巡る。40歳頃は書の研究に専念、二王(王羲子・王献子)の遺風を慕い、中国から渡来した墨帖を集めその覆刻に努力し、岡寺版と知られる墨帖を刊行、墨帖出版の新しい技術を開発した。書風は唐様。画は漢画を得意とした。書道に専心するあまり、財産を無くしてしまった。 『宝暦咄し』に「中川長四郎、手を能書天寿と世間へ名を上たる人、息子蔵三郎是も後は大雅堂のあとを受、陳明とやら世間へ名を上たり、町人のそなへには入らぬ事、身上は百分一となりたり、是もおごりのうち也」と書かれた。財産が百分の一になったのだそうだ。
 墓は篠田山霊園清光寺墓地に、また「韓大年先生故紙塚」が、京都市東山区、大谷廟の北側を登った通妙寺にある。一身田文史・細合方明による事績が碑三面に刻される。

 宣長と天寿は友人で、合作の画賛なども伝わっている。また、天寿の没後に、そのコレクション保存を紀州藩に働きかけたのも宣長であった。
 韓天寿と宣長の関係は、同時代に同じ松坂で生活していて交友もあったが、以外にも関係資料に乏しい。これは天寿に限ったことではない。塩崎宋恕も鹿嶋元長も同じである。宣長の場合、国学関係者以外の交友は殆どこれまで注目されなかったこともあり、不明な点が多い。師弟関係だけでなく、交友を探ることは宣長研究の急務である。

韓天寿の書帖(個人蔵)

韓天寿の書帖(個人蔵)



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(C) 本居宣長記念館


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