midashi_o.gif 加藤千蔭(カトウ・チカゲ)

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 享保20(1735)3月9日〜文化5(1808)9月2日。号は芳宜園。幕府与力で、父は加藤枝直。父の代に江戸に出たが、本来は松坂の人。枝直は賀茂真淵の有力な庇護者。その影響で千蔭も真淵に入門し研鑽する。職を退いてからは和歌や狂歌で活躍した。謎の浮世絵師「写楽」が千蔭であるという説もあるほどに、画にも優れていたことは表紙の『桜画賛』からも窺えよう。特に『万葉集略解』は後世に大きな影響を及ぼした。同書執筆に際し、寛政4年(1792)、宣長に協力を要請。以後宣長と親密な手紙のやり取りが行われた。現在確認されている両者の書簡は、宣長宛千蔭書簡8通・宣長書簡12通である。『万葉集略解』全巻が完成したのは宣長没後3年目の文化元年。同年9月に将軍に献進され、下賜された銀10枚の一部を千蔭は宣長の霊前に供えた。



(C) 本居宣長記念館


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