midashi_b 結婚

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★ 最初の結婚

 帰郷後、2年余りが経過した31歳の正月26日、結婚の話がまとまった。相手は同じ魚町の村田ふみさん。家は木地屋と言い、大年寄も勤めた。『松坂権輿雑集』にも出る町内では名家だ。『日録』には、「廿六日、旧冬清兵衛殿以世話、聘村田彦太郎女、今日可許嫁由有返事、今夕土左日記開講」とある。

 2月3日、村田七左衛門を媒酌人として、村田家に挨拶に行く。
 4月8日、晴天、結納である。
 4月15日、宣長は村田家を訪い両親に挨拶する。ふみの父親彦太郎の体調が思わしくなく、急遽この日となった。
 4月20日、村田ふみの家では甥の喜兵衛を麻の養子としてこの日婚礼。
 5月3日、村田彦太郎没す。
 9月7日、許嫁ふみ、みかと改名。『日録』に、「七日、村田氏女改名美加、旧名不弥也」とある。
 9月11日夕方、荷物納め。夜、婚礼に先立ち宰領人手代佐助等十名を振舞う。『日録』には、「十一日、夕雨天、自村田氏贈美可荷物来、使者手代佐助、下人九人也、長持二棹、箪笥二棹、葛篭一荷」とある。
 9月12日、婚礼に先立ち、祝儀を両年寄、五人組、近所に配る。
 9月14日晴天、みか(美可)と結婚する。『日録』に「十四日、乙卯、晴天、卯時美可入家、木濃喜作同伴、此方母人、源四郎殿、予、並媒七左衛門、以上六人同座婚礼矣、(以下略)」とある。早朝卯の刻に入家したのは、この日が精進日であるのをはばかったためである。『宝暦庚辰九月 婚姻書紀』には、盃事など婚礼の詳細を記す。
 以後、接待や、「初歩き」というお披露目などが続くが、12月、突然『日録』に「十八日、美可帰里、離縁」と書かれる。そして、「廿四日、夜返美可荷物」。僅か3ヶ月での破局である 。
 離婚の理由は不明。草深たみへの思慕の情があったという人もいるが、恐らくは、町家の娘として育ったふみさんと、医者をしながら学問をやる宣長の生活には開きがあったためであろう。またこの結婚自体が、ふみさんの父の病気と言う中で進められたこともあり、事を急ぎすぎたのかもしれない。嫁と姑の問題も無かったとは言えまい。
 真相は誰も知らない。

   12月12日嶺松院会の兼題
   「寄魚恋」
  小車のわたちの水の魚ならてかるゝをなけくわか契かな

   「別恋」
  かきくれて契る詞もなみたのみたもとにあまる衣ぎぬの空
  わかれても猶わか玉やとまるらん今一言としたふ袂に

   「旅宿逢恋」
  かはしても別つゆけきくさまくら又のたのみも涙おちつゝ

題詠とは言え、この中には、去って行く美可への宣長の深い悲しみを見ることが出来る。

>>「毎月の宣長さん」10月「牡丹の歌」


☆ たみとの結婚

 離婚から1年半、宝暦11年7月、草深玄弘女・たみとの縁談話起こる。たみは、京都堀景山塾での友人の草深丹立の妹である。いったん他家に嫁いだが、夫が亡くなり家に戻ってきていた。宣長も宝暦6年4月20日には京からの帰省途中、草深家に遊び、引き留められ一宿したことがある。顔くらいは知っていたであろう。

 11月3日、草深よりの返事が本町小津家にあり、翌4日、宣長の母に伝えられた。『日録』に「十一月四日、自去七月、津岡藤左衛門以媒聘草深玄弘女、昨三日、藤左衛門迄本町入来、有返事、今日藤左衛門入来、母人対面、弥々許嫁スヘキノ旨也、草深氏者藤堂和泉守医臣也」とある。
 12月16日、津から届いた草深たみの送手形、寺請状を、松坂町年寄荒木九兵衛に提出する。住民登録をするようなものだ。 年が改まって宝暦12年(1762)宣長33歳、1月6日、津の岡儀右衛門入来し、婚儀打ち合わせ。
 1月12日、雪から後に雨となる。午刻前、草深氏より箪笥や長持等の荷物納め。
 1月14日にも再び荷物納め。
 1月16日、婚礼の祝儀として、本町、魚町の年寄役に酒を届ける。
 1月17日、草深たみと婚礼。草深氏よりの請いにより、たみの名を勝と改める。『日記』「婚礼也、午剋、新婦到著本町源四郎殿宅(中略)新婦更名勝、是母人之名所譲給也、先日儀右衛門入来之節、自草深氏因被請所更也」。『本居氏系図』「宝暦十二年壬午正月十七日来嫁本家、改名勝【此名慧勝大姉之諱譲賜】」(宣長全集20-124)。
 1月18日、草深氏より蒸し物到着。
 1月19日、「三日之祝」で親戚の小津源四郎、栄昌等を招く。
 1月20日、津の草深四郎兵衛、岩瀬主馬の使い、それぞれ饅頭、鯛などを届ける。また、村田七左衛門を、村田与三兵衛、村田清兵衛、中条源四郎家の名代として草深に祝いに遣わす。この日、16日より里帰りしていた妹俊が、大口に帰る。
 1月21日、新婦の土産を利秀、栄昌、於重の三人の叔母に届ける。
 1月24日夕方、母と勝が初歩き。『日記』「今夕、勝初行(ハツアルキ)、母人同伴」お披露目、顔見せだ。
 このようにして一連の行事が済み、4月17日、母は善光寺参詣、親類縁者等11人と発足し、信濃国(長野県)善光寺にて剃髪する。



(C) 本居宣長記念館


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