midashi_b 金印情報

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 金印発見で、論文を書いたのは宣長だけではない。京都の藤貞幹、上田秋成もいち早く「漢委奴国王印綬考」を執筆した。貞幹と秋成には直接のつきあいはなかったと思われる。が、両人の説には、紐(ツマミ)の形や、現在「わのな」と読んでいる「委奴」をイトと読み、伊都国に比定するなど共通点があり、何らかの関係があったのだろう。

 一方、宣長のところには、小篠敏を通して細井金吾より尋ねてきた。時期は「金印考」という金吾の文中に、金印発見の天明4年を「去々年」と記しているので天明6年頃であろうか。細井金吾は、後に門人となる(寛政5年入門)。

  宣長の「漢委奴国王金印考」は、自筆のものが『水茎の考等草稿』(本居宣長記念館所蔵)に載る。また写本として、『漢委奴国王金印考【合本 細井金吾、本居宣長】写』(内題「福岡侯儒細井金吾・漢委奴国王金印考、松坂、本居氏考」)がある。神宮文庫所蔵。奥書「右使向井末輝令書写之以為家蔵 荒木田経雅(印)于時寛政四年三月」。


>>「藤貞幹」
>>「上田秋成」
>>「細井金吾」
>>「荒木田経雅」



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