愛煙家の宣長は、旅先でもたばこを吸った。
吉野に行った時のこと、吉水院前の景色のよい茶店からたばこを吹かして吉野水分神社あたりを眺めている。
「さざやかなる屋の、まへうちはれて、見わたしのけしきいとよきがあるに、たち入て、煙ふきつゝ見いだせば、子守の御社の山、むかひに高くみやられて」と『菅笠日記』には書かれている。
旅とは言えないが、京都遊学時代には、祇園あたりでたばこ入れを落とした。数日して、友人の山田孟明が、路で拾ったと言って届けてくれたことがあった。宣長は大変不思議がっている。
「けふふしきに(今日不思議に)、孟明のもとより、道にてひろひ侍るとてかへしをくられし、これほとよにかはりし(世に変わりし)事はなし、あまりのふしきさに、ふと思ひよりて、返事にかきつけてやり侍るは
つれなくて 春はくれ行 けふしもあれ
うれしくかへる たはこいれかな」
(『在京日記』宝暦6年3月29日条)
不思議と言えば確かに不思議だが、でもそんなに不思議がることかなとも思ってしまう。
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