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京菅原道真をお祀りする学問の神様。
宣長先生は子どもの頃から京都や大坂の天神さんに参詣していた。
延享2年(16歳)、始めての上京。北野天満宮に参詣する。『日記』には、「同二【乙丑】二月、北野天神参【二月廿一日立、廿三日京著、廿五日天神参、三月一日京立、同三日帰】」とあり、天神さんにお参りするために上京したような書きぶりだ。
延享5年(19歳)、二度目の上京。滞在中に、北野天満宮に二回、大坂の天満宮に一度参詣。錦天神にも参詣。
延享5年(19歳)年末頃、「日々動作勒記」執筆。毎日礼拝する神仏の名前を記した覚書。中に「洛陽北野大自在天神宮」とある。
宝暦2年から7年の京都遊学中には度々北野に遊んでいる。また、遊学中、天満宮縁日の数25の「楽」字を使用した書簡(17-27・書簡番号12)を執筆する。
寛政6年(65歳)閏11月25日、大坂の天満宮に参詣。
享和元年(72歳)2月、若山からの帰国願書(16-640)に大坂の天満宮参詣予定と記す。

北野天満宮中門。単層入母屋造檜皮葺四脚門。
前後に軒唐破風を設けさらに上に千鳥破風を付ける。装飾性も豊か。
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絵馬殿の絵馬。
延享4年正月奉納の文字が読める。宣長が2度目の参拝をする前年である。
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夜も人通りが絶えない錦天満宮。
ここの宮司さんは熱っぽく現在における国学の必要性を説かれた。
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