midashi_b 古医方(コイホウ)

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 宣長が京都で医者の修行をしていた17世紀後半頃から、流行りだした漢方医学の一派。宣長らの学んだ「後世方」(コウセイホウ)が中国の金・元の医学の影響をうけた観念的であったのに対して、後漢の張仲景の「傷寒論」を手本とし親試実験を唱えた。ちょうど儒学の朱子学に対抗して興ってきた古学の動向に対応する。名古屋玄医、後藤艮山、山脇東洋、吉益東洞らがおり、蘭学にも影響を与えた。

 古医方の影響は医学説だけではない。医者の格好にも変化が見られた。
「当時京都医界では、後藤艮山流の長髪束垂で道服着用が流行した。宣長も宝暦三年には頭髪をのばして医家風の総髪とし、同年三月には名を宣長、号を春庵と改めた」『京の医史跡探訪』杉立義一著(思文閣出版、昭和59年3月刊・P297)とある。

 ところで、吉益が不遇時代、その後ろ盾となったのが「堀景山」である。景山は不思議な人だ

 


>>「堀景山」
>>「44歳の宣長・なぜ自画自賛像を描いたの?」



(C) 本居宣長記念館


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