| 第1帙(巻1〜5) |
寛政2年(1790) |
| 第2帙(巻6〜11) |
寛政4年(1792) |
| 第3帙(巻12〜17) |
寛政9年(1797) |
| 第4帙(巻18〜23) |
享和3年(1803)頃? |
| 第5帙(巻24〜29) |
文化10年(1813)頃? |
| 第6帙(巻30〜34) |
文化13年(1816)以前 |
| 第7帙(巻35〜39) |
文政3年(1820)頃? |
| 第8帙(巻40〜44) |
文政5年(1822)(刊記) |
【注】
第1帙刊行について、寛政2年9月12日付横井千秋宛書簡で刊行の喜びと奉納について書く。
第5帙の刊行は『藤垣内略年譜』に文化10年3月献上との記事があるが、高倉一紀氏は8月3日付竹口直彦宛大平書簡から、文化9年7月頃かと推定される(「伊勢商人中万竹口家の教養と国学」『松阪大学地域社会研究所報』第5号)。関係する一節を引く。
「高門も今は一両年以前より京住にて、右之文通にも及可申候間、貴詠も見せに遣し可申候、依而一紙うつさせ置候事に御座候、先達而貴地御下向之節、植松方へ御立寄被成候由、貴君便ニて彼人之様子も承り申候事ニ御座候、病気故文通もなく、物遠ニ存居候事ニ御座候、七月五日(傍書「ナコヤ」)出し書状、七日時分若山へ着、猶又委細相分申候、故翁古事記伝五帙目本出来候而、贈参候便ニて御座候、本からよく出来悦申し候」
第6帙の刊行について、文化13年12月24日、内池永年宛本居左衛次差出書簡(年次は端裏に「文化十四丑二月三日、左衛次主」から推定)に、「古事記伝之儀、先達而御尋、右ハ(傍書「此内廿九ヨリ三十四迄ハ旧年カ出版ニ相成リ候也」)三十四迄出版いたし居申候事也」とあり、それ以前の刊行であることが明らかである。(『福島市史資料叢書 第五〇輯内池永年集』P142)
第8帙は巻40から始まること御厨神社に奉納された本で明らかである。
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「『古事記伝』の奉納」
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