志

 「いかならむうひ山ぶみのあさごろも浅きすそ野のしるべばかりも」

 『古事記伝』を書き終えた69歳の宣長は、門人のもとめに応じて学問の入門書を執筆した。『うい山ぶみ』である。18歳頃に和歌に志してから数えると約60年、宣長の思索と体験を凝縮された本で、今も学問への道を歩もうとする人にとって、指針となっている。

 その中で宣長は、学問は自発的なものであることを主張する。つまり「志」こそが一番重要であり、方法は二の次であると言う。

「すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立てて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よはくては、学問すすみがたく、倦み怠るもの也」
「詮ずるところ学問は、たゞ年月長く、倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど学びかたよくても、怠りつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有る物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇なき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也」『うひ山ぶみ』
 だから、このような入門書もかえってよくないのかもしれないと自問自答し、最初に挙げたような歌を添える。
 新米の山伏が初めて山入りをする。そのように学問の道に初めて入る人のために、ごく基礎的なことを書いたのだが、果たしていかがなものであろうか、と言う意味だ。

 自分が好きで始めた学問だから、好きなようにすればよい、ということだが、宣長自身の覚悟は決まっていた。たとえ定説、また師説であっても大事なのは真実である。その究明が最終目標となるということだ。
「今おのれ、かの考(賀茂真淵著『祝詞考』)を本として、その説をことごとく挙て、考ニ云クといひ、頭書に至るまで、もらさず引出て、次におのが思ひとれる事どもをしるし、かの考の違へるふしぶしをも論ひて、後釈となづけつ、かの余(ホカ)のもろもろの注釈どもは、みないふにもたらぬことのみ多かれば、そのよきあしきは、ひたぶるにすてて、あげつらふことなし、もはら吾大人の考を、つぎひろむものぞ、そもそも師とある人のあやまちをあぐることは、いともかしこく、罪さりどころなけれども、今いはざらむには、世ノ人ながく誤りを伝へて、さとるよなく、猶いにしへごころの、明らかならざらむことの、うれたさに、えしももださざるになむ」
                           『大祓詞後釈』
 評論家・小林秀雄は宣長を評して、「学問というものは広大なものであり、これに比べれば自分は愚か、師の存在も言うに足りないという考えが透けて見えてくる」と言っている。


> >「共同研究の勧め」
> >「師の説になづまざること」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる