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在京中の宣長が、友人の批判に対して答えた手紙の中に「好信楽」という言葉が出てくる。これが宣長自らの学問の態度である。
「不佞の仏氏の言に於けるや、これを好しこれを信じこれを楽しむ。啻(タダ)に仏氏の言にしてこれを好し信じ楽しむのみにあらず、儒墨老荘諸子百家の言もまたこれを好し信じ楽しむ。啻(タダ)に儒墨老荘諸子百家の言にしてこれを好み信じ楽しむのみにあらず。凡百の雑技歌舞燕遊、及び山川草木禽獣虫魚風雲雨雪日月星辰、宇宙の有る所、適(ユ)くとして好み信じ楽しまざるは無し、天地万物、皆な吾が賞楽の具なるのみ」
(宝暦7年3月頃、上柳敬基宛書簡)
特に「楽」には、『論語』の「浴沂詠帰」に対する宣長の見解が色濃く投影されていて、一つの覚悟であると言える。
例えば次の文と比較してみよう。
「宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとす。これを智と称することかと思う」(明治36年6月30日付、南方熊楠差出、土宜法竜宛書簡)
万物の存在する世界から、自らが選んだ「学問」、それに確信を持ち、そこに楽しみを見出す。功利的な考えや打算のない世界である。
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