midashi_o.gif 栗田土満(クリタ・ヒジマロ)の訪問

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 行きも帰りも宣長さんの所で勉強する人もいる。

 安永4年(1775・宣長46歳)3月28日、遠江(静岡県)の栗田土満が、内山真龍(ウチヤマ・マタツ)等と鈴屋を再訪した。翌29日も午後、土満はやってきた。宣長に聞きたい事があるし、一緒に来た人に病気の者もいるので伊勢行きを見合わせて松坂に滞在したという。

  土満の紀行『やまとめくり』に

 「とかくいふうちに松坂に至りけん、今日雨もふりぬ、かつこゝにとふへき人しあれは、(虫損)にとゝまる、十九(二十九か)日、けふ雨ふらす、午時はかりより晴たり、度会方へ行まく思へと、猶宣長のもとにとめまく思ふ事多かれは、こゝにとゝまる、友のいさゝかなやめる所有ば、かたがた行かず」

とある。

 ここまで来たのだから、ちょっと宣長の顔でも拝んでいくか、というのではない、熱心な例だ。

 この時のものかどうかは分からないが、土満は『古事記下巻聞書』1冊を残している。武田祐吉氏『古事記研究 帝紀攷』挿絵に、仁徳天皇の御記の初、葛城部・壬生部を定め給う条に関する部分で、真淵と宣長の、訓読の相違などが記されている箇所の写真が載る。解説によれば、宣長の講義を、土麿(満)が聞いて記し留めて置いたものだそうだ。現在所在不明。

【参考文献】
「岡の屋年譜考(一)」高倉一紀『皇學館大學神道研究所紀要』第9輯。


>>「栗田土満」



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