midashi_o.gif 京都で勉強する大秀

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 田中大秀の熱心な勉強振りを、大平は伝えている。

 まず宣長の講釈のことから述べられる。享和元年(1801)の宣長の京都での講釈は、連日昼夜、2回行われた。聴講者は京都の人に留まらず、上京してきた諸国の人、急いで集まってきた門人など、貴族たちも集まる盛況振りであった。講釈は『万葉集』から自著『玉くしげ別巻』にまで及んだ。京都の弟子も、毎日夜昼とある講釈には、欠席することもあったが、その中で一日も休まずにという人はまず稀であった。この大秀はその無欠席の人で、一生懸命勉学に励み、志の深い人だと宣長先生も誉められたと、その後、同行していた植松有信から聞いた。

 「そのかうせちは、日毎によるひると二度にて、京のみやびをたちをはじめて、のぼりあひたる国々の人々、又きゝ伝へてふりはへにはかにのぼり来たる教子、又雲の上人さへ、此やどりにあまた所ともなひ入おはしまして、きかせ給ひき。よみときたるは万葉集、源氏の物語、古語拾遺、延喜式の祝詞の巻、詠歌大概、玉匣別巻などなりけり。こゝに国々よりのぼりつとへるも、京の教子も、よる昼はおこたらずしもあらぬを、そが中には、一日もおちずなどいふべきさまなりしもありつとかや。この大秀は、つひに一度もかくる事なく、いそしみつとめたりけるを、心さし深き人かなと、翁もほめられたるよし、程へて後、物のついでに、植松有信がおのれにかたりける事もありけり・・」

 これは『竹取翁物語解』序に書かれた話である。


>>「京都滞在は面白い」
>>『享和元年上京日記』
>>「田中大秀」
>>『源氏物語聞書』



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